2011年8月19日金曜日

ユートピアと暴力

プラトン的分離」によって「知」と「行為」が切り分けられたことにより、何をどうやって作れば良いのか?といった製作過程が緻密な計画案(青写真)として作られるようになった。
このようなものの考え方からすれば、人間事象のテクニシャンを習得したある人物が、一つのモデルに従ってユートピア的な政治システムを組み立てるのは、ほとんど自明のこととなる。プラトンは、政(治)体を作るための青写真を考案した最初の人であり、その後生まれたあらゆるユートピアに霊感を与えている。…これらのユートピアは、意識的にしろ、無意識的にしろ、活動の観念を製作の観念から解釈しているような政治思想の伝統を保持し、発展させるのに最も効果的な手段の一つであった。『人間の条件』p358-359
しかし、アーレントによれば、その計画案は実現された場合があっても、すぐに現実に押されて解体してしまったようだ。
たしかに、これらのユートピアのうち、歴史上、目に見えるほどの役割を果たしたものは一つもない。なぜなら、まれに、ユートピア計画が実現された場合があっても、現実に押されてすぐ解体してしまったからである。しかも、その現実というのは外部的環境の現実というよりは、むしろそのユートピア計画がコントロールできなかった真の人間関係の現実のことである。…いうまでもなく、暴力は、製作にかならず伴うものである。だから、活動を製作の観点から解釈する政治的計画や政治思想では、暴力がいつも重要な役割を果たしてきた。p358
この「現実」とは、「プラトン的分離」によって生じた「知」の独占を巡る対立ではないかとおもう。「知」は「行為」を決定することからも大きな権力の象徴であったから、「哲人王の知」と「哲学者の知」の対立ではなかったか。
…暴力には、自分を正当化し、制限するためのある目的が必要であった。いいかえれば、暴力はそれ自体を賛美するということは、近代以前の政治思想の伝統にはまったくなかったことである。一般的にいえば、観照と推理が人間の最高能力であると仮定されている限り、暴力の賛美は不可能であった。なぜなら、このような仮定のもとでは、労働はもとより、製作や活動も含めて、いっさいの「活動的生活」の要素は、第二義的で手段的なものに留まっていたからである。その結果、もっとも狭い政治倫理の分野では、支配の概念やそれに伴う正統性および正当な権威の問題の方が、活動そのものの理解や解釈をはるかに決定的な役割を果たした。 
もっとも、近代以前の政治思想の伝統において、暴力それ自体は賛美されていなかったようだ。「プラトン的分離」のもとでは、「知」の主導権争いを巡って暴力が集中することになったのは必然的なことであるように思う。一方、それと同時に、「行為」は「知」の決定に従ったものとして反論するような余地のまったくないものとして定着していった。つまり、「知の役割を担う者」が「行為の役割を担う者たち」を支配する構図が完成していったことに注意する必要があるだろう。

また、通俗的な表現だが「利権争い」のような、特定の「知」を支持する人たちの集団的な対立が生まれる要因が潜んでいることを敢えて書き添えておきたい。特に注意して欲しいのは、この支持者たちは純粋に「知」を理解して対立しているのではなく、「知の役割を担う者」を支持することで、それに従ったものに与えられる「利益」から対立しているという点である。
しかし、近代になって、人間は自分の作るものだけを知ることができ、人間のいわゆるいっそう高い能力は製作に依存しており、したがって人間はなによりもまず〈工作人〉であって、「理性的動物」ではないという確信が生まれた。
近代になって、「行為の役割を担う者たち=工作人」は、「自分が何を作るのか」を知ることにつとめ、「知の役割を担う者=理性的動物」の立場から遠ざかっていった。消極的ではあるがこのことをいいかえると、自らの「行為」に専業し、同時に「自らの行為に係わる知」だけに係わる考え方が広まったのではないだろうか(注2)
このような確信が生まれたとき、人間事象の領域を製作の分野と見なす解釈にもともと含まれていた暴力の意味が前面に出てきたのである。このことは近代に特徴的な一連の革命に、とくに印象的なことである。アメリカ革命だけは例外であるが、このような近代の革命では、いずれも、新しい政治体を創設しようとするローマの熱意と、新しい政治体を「作る」唯一の手段としての暴力の賛美が結びついている。マルクスは、「暴力は新しい社会を孕むすべての古い社会の産婆であり」、暴力は、歴史と政治のすべての変化の産婆であると述べた。このマルクスの格言は、近代全体の確信を要約し、ちょうど自然が神によって「作られる」のと同じように、歴史は、人間によって「作られる」という近代の内奥の確信を結論づけたものにすぎない。
「プラトン的分離」によって、人びとが「知」と「行為」の役割に分割された結果、「知の役割を担う者=理性的動物」の専業化が進み、それは「古い知」と「新しい知」、あるいは「ある知」と「異なる知」(注1)といった対立を生みだした。その結果、「知」が入れ替って新しい社会が生まれようとする時には「暴力」が前面に出てきたのである。

また、この「知」に絡んで「利益」のような対立があったことも見逃せないこととして書き添えておきたい。なぜなら、アメリカ革命は、特定の「知=利益」を支持する人たちの集団的な対立から起きた「戦争」であったと考えられるからである。

注1:アメリカ革命だけを例外とするのは、それは議会における意見の対立という政治的過程による区別だと思われる。
注2:日本では、士農工商などの社会的な役割を設定し、その役割の中での「知」と「行為」に専念することが階級社会の制約としてあったことを敢えて指摘しておきたい。





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