2011年8月11日木曜日

人びとの共生と権力、そして、それらを育む空間

権力が発生する上で、欠くことのできない唯一の物質的要因は人びとの共生である。人びとが非常に密接に生活しているので活動の潜在的能力が常に存在するところでのみ、権力は人びとと共に存続しうる。したがって、都市国家としてすべての西洋の政治組織の模範となってきた都市の創設は、実際、権力の最も重要な物質的前提条件である。活動の束の間の瞬間が過ぎ去っても人びとを結びつけておくもの(今日「組織」と呼ばれているもの)、そして同時に人びとの共生によって存続するもの、これが権力である。そして、いかなる理由であれ、自分を孤立させ、このような共生に加わらない人は、たとえその体力がどれほど強く、孤立の理由がどれほど正当なものであっても、権力を失い無力となる。『人間の条件』p324
アーレントは、人びとが寄り添い密接に生活していることで「活動」の潜在的能力が高まると考え、そうした生活空間としての「都市」が歴史的に果たしてきた役割を認めている。だから、都市はおおくの人びとの活動が生まれやすい条件を満たしているので、都市には活動の始まりと共に生まれる権力も現れやすいと考えた。そのことを裏打ちするように、共生する人びとからはなれて暮らすことが、権力を失うことになると指摘している。

僕は、「第八の大陸」と呼ばれるようになったネットワーク空間において、おおくの人びとが毎日のように頻繁に出会う空間において、「活動」の潜在的能力が高まりつつあると感じているので、そのことに触れておきたい。

まず、ここでいうネットワーク空間はより限定的な意味において、ソーシャル・ネットワーク・サービスなどを思い浮かべるとわかりやすいだろう。こうした空間では、さまざまな人びとが集まって朝夕の挨拶だけでなく、就寝前後の挨拶までが交わされている。もっとも、ネットワーク空間をこの種類のサービスに限定するつもりは無く、もっと広範囲に及び、その恩恵を受ける個人の意識が有るか無いかによらず、ネットワークそのものにアクセスできる状況を含んでいる。

ネットワーク空間の広がりは、もはやネットワーク・サービス利用者の意識とは必ずしも一致しない。個人が所有するパーソナル・コンピュータやスマートフォンのような通信端末からなされるものだけではなく、これまで受動的な通信装置として扱われてきたテレビやラジオや自動販売機や大型ブルドーザーといった道具的なもの、家庭や建物のセキュリティシステム、スーパーマーケットのPOSシステム、宅配便などの流通システムサービス、人工衛星を使ったスパイ活動、宇宙探査、はたまた体内に埋め込まれた体液診断用チップなど、その利用範囲は留まらない。社会におけるさまざまな活動がネットワーク空間において繋がり、ただ双方にデータがやり取りされているという目線から捉えれば、国家間の外交機密情報までが含まれる。つまり、これまで公的領域においてあった活動とその目的は、異なる活動と異なる目的のなかで、無意識・無自覚な個人を巻き込み始めている。

アーレントは、活動の持続性について懐疑的であるように思う。アーレントは、権力は人びとが行う活動の始まりとともに生まれるからこそ、活動はその目的を終えてしまうと、人びとを結びつけておく理由を無くすと考えた。しかし、「活動の束の間の瞬間が過ぎ去っても人びとを結びつけておくもの」として、今日の「組織」を捉えている。

僕たちは、「組織」の本質について考える必要がある。「組織」とは、今日の社会において、その目的の元に組織員と所在地と資本を登録することによって、一般に知られるものとなる。少なくとも、この日本においては、組織は法人と呼ばれ、組織の目的を果たす為に継続的に活動する主体として捉えることができる。そして、それは、西洋から広まった考えを取り入れただけのものである。アーレントは、組織は多くの人びとが密接に生活していることから生まれた活動としたが、僕たちの目にする組織とは、活動の目的は次々と変えてでも存続することを目的とした活動になっているように思える。

アーレントの考える「組織」について、もう少し砕いて考えておきたい。その立場からも、僕としては、アーレントのことを教えてくれた友人の意見を聞いておきたいと思う。

なので、とりあえず、ここで終了。

3 件のコメント:

  1. 少なくともアーレント自身は、政治活動と経済活動を対立的に捉えていたので、彼女は企業活動についてはほとんど言及していないはずです。これは、「公的領域(ポリス)」と「私的領域(オイコス)」を対立的に捉えていたアリストテレスの哲学に由来します。
    経済economyの原語はギリシア語で「家政術」を意味するオイコスoikosですが、古代ギリシアでは「経済」は公的な営みではなく私的な営み(各家庭内で行われるべき営み)であると考えられていました。古代ギリシア人たちは政治活動に経済的利害が介入することを嫌ったからです。アーレントもこのようなアリストテレス的態度を引き継いでいたといえます。だから経済的次元に属する「労働」が公的領域に入ってくることを厳しく批判するのですね。
    しかし現代においては、アーレントの思想を企業活動に当てはめて考えてみるのも面白いかもしれません。政治思想でそういう研究はほとんどありませんが、アーレント思想から企業組織をどのように捉えることができるのか、興味深いところです。

    返信削除
  2. 家政術ですか…これは興味深い話ですね。確かに古代ギリシャでは、現代の経済活動のような規模を主体的に行えたのは政治活動があってのことだと思いますね。家政術と言われれば、労働としての範疇になってしまいますねえ。

    もっとも、アイビーエムのような企業は、都市計画のレベルで計画を立てて工場進出を行ってきています。具体的には、人口数百人程度の小さな町に工場を作るような計画を立てるとします。その場合、従業員の家族の為に、学校や、病院、警察署、消防署といったものを作る計画案を町側の代表と話し合って、受け入れてもらう為の条件を調整します。この辺りのダイナミズムは、日本人社会では、なかなかピンとこないかもしれませんが、アーレントもこうした事例をどこかで垣間知っていたのではないか?と思います。

    いずれにせよ、米国企業のこのような事実を知る者にとっては、もはや経済活動と政治活動の境界線はどこにあるのだろう?と思います。実際、米国企業は、政策案そのものを作ったり、有力議員に働きかけて法案を議会に提出させます。日本企業も、業界団体やどこぞの企業OBが政党に個人献金と称して、そういった働きかけをしているようですが、現代社会の事情に合わせて、政治活動と経済活動の境界線が判りにくくなっているように思います。

    この辺りのことをアーレントがどのように感じていたのか、興味が尽きないところです。

    返信削除
  3. なるほど、IBMのように都市計画レベルでビジネスを行う企業の場合は、まるでひとつのポリスを創設するようなイメージに近いわけですね。そのあたりは米国企業はさすがだなぁ(笑)
    アーレントならば、その都市計画においていかに安定的で自由な公的領域(政治空間)を確保するのか、というのが最も重要なポイントになるのだと思います。政治的共同体の「創設」という概念もアーレントの政治理論において非常に重要なテーマです。『人間の条件』でもいくつか言及がありますが、この点が詳しく展開されているのは『革命について』ですね。こちらもまたお時間あるときに読んでみられると面白いのでは。

    返信削除