自己紹介

こんにちは。

こんな難しいテーマのブログを読んでくれて有難うございます。

僕、藤村正則は、大学院では美学論文(写真論)を書いていました。

某コンピューター会社で、ユーザ・インタフェース・デザインを開発する仕事をした後、インターネット関連の開発を中心に様々なシステム開発を手がけてきました。そうした経験を通じて、コミュニケーション・デザインという分野での知見を深めてきました。

プラトン的分離]を読んで頂けると、ちょっとだけですが、僕の専門的な知識について解説しています。

現在は、人工人格のシステム開発を行っています。

大学院時代には、ヴァルター・ベンヤミンの研究は少しだけしていたのですが、彼のお友達のハンナ・アーレントについては、まったく知りませんでした。写真論は、ビジュアル・コミュニケーション論と言い換えることもできますが、言論ではない写真によるコミュニケーションを勉強している時には、写真以外の世界を論じることはなかなか難しく、仮に、アーレントに出会っていても、お友達になることを禁じられていたかもしれません。

学生時代の僕は、ロラン・バルトという記号学者の勉強をしていました。当時は、ユーザ・インタフェース・デザインは、日本国内にはほとんど研究者がいなかったので、情報工学系の研究室に潜り込んで勉強をしていました。もっとも、そこでは、シーモア・パパートマービン・ミンスキーといった人工知能の話であったり、アラン・ケイビル・アトキンソンドナルド・ノーマンといった人たちの考え方に引かれていく日々を過ごしていました。

コミュニケーション・デザインの勉強をしてみると分かることですが、この言葉に当てはまる学問はありません。エドワード・タフトジョン・マエダのようなインフォメーション・デザイン、石井裕のようなユーザ・インタフェースの方はいるのですが、僕の考えるコミュニケーション・デザインとは異なると思っています。ちなみに、広告業界では、コミュニケーション・デザインと言えば、広告やポスターの制作段階を指したりします。まったく、ナンセンスな悪い冗談です。

僕なりのコミュニケーション・デザインについてもう少しだけ説明すると、僕は、双方向に理解を深めるために必要なコミュニケーションに興味があります。テッド・ネルソンティム・バーナーズ=リーのような考え方が僕の興味にすこしだけ近い気がします。でも、彼らのような情報を「網の目」に繋ぐことは、もう既に進行していることなので、よくよく注意深く見守りたいと思っています。

アーレントは、「人間関係の網の目」という表現を使います。

この概念は、よくよく考えてみると、facebookやgoogleといったソーシャル・ネットワーク・サービスが作り上げようとしている「網の目」の未来の姿は、それに近づこうとしているかもしれません。でも、アーレントの「人間関係の網の目」では「無数の意志と意図が葛藤を引き起こしている(注1)」ようなので、世界中にある無数の実在(entity)を繋ぐだけの簡単な問題ではないと思います(もちろん、それはそれで大変なことなんですけどね)。

僕は、アーレントの考え方が、現在のネットワーク空間にある様々なサービスと異なっているように感じています。これは、直感的なものです。ユーザ・インタフェース・デザインを始めたとき、チャールズ・サンダース・パースの記号論が頻繁に使われるのを見て感心したのですが、アーレントほどに感動はしなかったように覚えています。アーレントに並ぶ感動は、少なくとも、バルトに感じていたので、きっと僕には、まだ言葉にはマッピングできていないリアリティがあるのだと思います。このような状態に、ほんのわずかだけでも刺激が加わると、僕の頭の中にある「網の目」は、急に開けた視界となって見えてくるんじゃないかと思っています。

なにか気づくことがあれば、是非ご連絡をください。

2011.8.24
藤村正則(ふじむらまさのり)

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