2011年8月19日金曜日

プラトン的分離

僕の工業デザイナーとして働いてきた経験を前提に考えると、以下にある「プラトン的分離」は、デザイナーの制作過程のそれにとてもよく似ていると思う。
このような知と行為のプラトン的分離は、あらゆる支配の理論の根本にあるものであって、これらの理論は、旺盛で無責任な権力意志を単に正当化しているだけのものではない。プラトンは、純粋な概念の力と哲学的な明晰さを持って、知を命令=支配と同一視し、活動を服従=執行と同一視した。『人間の条件』p354-355
つまり、緻密な設計作業が「知」の部分に当たり、設計を元に製造する部分が「活動」に当たる。工業デザイナー(設計)と工場(製造)による分業体制、さまざまな効率化を図る上で、とても重要な意味を持つ。

アーレントがドイツで過ごしていた時代は、バウハウスが工業デザインの新しい流れを切り開いた時代でもあった。バウハウスから生み出された工業製品は、荒廃したドイツ復興を牽引する象徴的なものであったし、同時に国内の産業基盤の再生を目指したものであったことから、常に効率的な量産が意識されていた。そのため、アーレントもまた、そうした工業製品が作られる裏側に「プラトン的分離」が行われているのを強く感じていたのではないだろうか。
…確かに、プラトンは深さと美をユニークな仕方で融合し、その重みによって彼の思想は何世紀も続くことになった。 しかし、それを別とすれば、彼の著作のうちで特にこの支配の概念の部分が長く生命を保っているのには別の理由がある。それは、彼が活動を支配に置き換えたとき、それをもっと真実らしく説明するために製作の分野に事例を求めたということである。これによって、この置き換えはいっそう強化された。実際、プラトンは、その哲学上の中心的概念である「イデア」という用語を、製作の領域における経験から得ており、それに気づいた最初の人であったと思われる。p355 
工業デザインの世界では、量産化体制に入る前には、かならず原型(プロトタイプ)制作が行われる。 アーレントは、プラトンが「それをもっと真実らしく説明するために製作の分野に事例を求めた」としているが、この考察で間違いないだろう。原型制作を行うといろいろなことが明らかになる。一つの制作物を作るために必要な時間、コスト、材料、工作人の数や技量といったもの。

現代人の多くが誤解していることだが、近代の終わりくらいまで、工芸品の制作や建築には、プロトタイプのような考え方はあまり一般的でなかった。もっぱら手仕事による制作が基本だったので、職人がその都度、自分たちの基準で寸法を決めて物作りを行っていた。しかし、ローマ帝国の時代には、ローマへ続く道路建設のために道路幅や道路の材質などの原型が用意され、馬車等にも同じ寸法の車輪が使われていたことが知られている。プラトンの生きた時代は、ローマ帝国よりも更に遡るので、そうした製作技術がプラトンによって生み出され、ローマ帝国の崩壊とともに消えていき、ドイツのバウハウスにおいて再び、そうした製作技術が復興を遂げているのはきわめて興味深い。

とはいえ、ドイツにおける量産技術の確立は、戦争の暴力装置の量産に使われていくことになる。アーレントからすれば、神妙な気持ちにならざるを得ないところではないだろうか。
それはともかく、知と行為の区別は、活動の領域とはまったく無縁のものである。というのは、この領域では、思考と活動が分離する途端にその有効性と有意味性が失われてしまうからである。これに反して、製作においては、知と行為の分離は、日々の経験にすぎない。なぜなら、製作の過程が、二つの部分に分かれていることは明白だからである。すなわち、製作過程では、まず第一に、あるべき生産物のイメージあるいは形(エイドス)を知覚し、次いで、手段を組織化し、仕事に取りかかるのである。p355 
上記の考察は、この内容から裏付けられるだろう。
プラトンは、仕事と製作に固有の固さを人間事象の領域に与えるために、活動と製作を置き換えようとしたのであるが、このような彼の願望は、彼の哲学の中核であるイデア説に触れると最も明白になる。…ただ『国家』においてのみ、イデアは、標準、尺度、行動基準に変形されている。これらの基準はすべて、ギリシャ的意味における「善(グッド)」、すなわち「役に立つ(グッド・フォー)」あるいは適合性の観念の変種であり、その派生物である。…しかし、この善のイデアは、哲学者の最高のイデアではない。…『国家』においてさえ、哲学者は、依然として善の愛好者ではなく、美の愛好者として定義されているのである。むしろ善は、哲人王の最高のイデアなのである。p356 
僕の考察が間違いなければ、プラトンは、「工業デザインの祖」と呼んでも良いのではないかと思えるほど卓越している。ただし、アーレントの記述からは、現代の商業主義的な工業デザイン(ただし、ほんの最近までの…)を念頭に考えると、ちょっとばかり目指していたものが違うのではないかと思える。それが、「善の愛好者」と「美の愛好者」とする比較である。この対比をもう少し具体的に砕いておく。

「美の愛好者」のほうが、現代の商業主義的な工業デザインに近いといえる。フォルムやスタイリングという言葉を耳にされる方もあると思うが、その本質が何かと言えば、車であれば、早い感じ、ズッシリと重厚な感じ、という感性的イメージに基づいた造形を指している。辛辣な言い方をすれば、「早そうに見えても早くない」「重そうに見えても重くない」のであるが、ユーザーの美的感覚に訴える場合のデザインである。

一方、「善の愛好者」のほうが、より機能性を重視したデザインだと考えられる。「大きなハンドルが取り回しやすければ、大きなハンドルが車にはつけられ」、「高速走行時に安定するから車輪を大きくする」などのデザインが施される。まさに、実質本意であるし、「役に立つ(グッド・フォー)」を最優先したものと考えられる。

ちなみに、バウハウスのデザインが現代において高く評価されるのは、量産品特有の機能主義だけでなく、美の追求を忘れなかった点にある。
なぜなら哲人王は、人びとの間で生活を送らねばならず、永遠にイデアの大空の元に住むことができないゆえに人間事象の支配者たろうとするからである。哲人王は、多くのさまざまな人間の行為と言葉を測り包括する基準あるいは尺度として導きのイデアを必要とする。しかし、それは、彼がもう一度自分の仲間と住むために人間事象の暗い洞窟に戻ってくるときだけである。この場合、哲人王は絶対的で「客観的な」確かさを必要とするが、その確かさは、例えば職人が、永遠に変わらないモデルであるベッド一般の「イデア」を用いてベッドを作ったり、同じ方法で素人がここのベッドを判断したりするときと同じ確かさである。p356-357 
ここで、アーレントは、哲人王が 「多くのさまざまな人間の行為と言葉を測り包括する基準あるいは尺度として導きのイデア」を必要としたとしているが、この記述からは、プラトンは「フィールド・マーケティング」を行いながら、市場ニーズの中心をなす基準づくりを試みようとしていたと思われる。
この場合、強制的要素は、芸術家や職人の人格にあるのではなく、むしろ彼らの芸術や工芸の非人格的な対象物にあるのである。『国家』において哲人王は、職人が自分の尺度や物差しを使うようにイデアを用いている。彼は、彫刻家が像を作るように、自分の都市を「作る」のである。プラトンの最後の作品では、これと同じイデアが、ただ執行を待つだけの法律にさえなっている。p357
プラトンは、さまざまな考察を加えた原型制作を通じて、量産化体制に向けた綿密な計画を作っていたと考えられる。それは、アーレントが指摘する分離された「知」の部分であることは疑いようがないだろう。そして、その綿密な計画を現代の政治システムに喩えるならば、行動計画書を付けた状態で議会承認を待つ「法案」のようにみえる。

哲人王、プラトン…。

アーレントはプラトンに何を見ているのだろうか。


以下、参考までに紹介しておく。


最後に、最先端のユーザ・エクスペリエンスのデザイン手法(注1)の中で使われる二つの用語について触れておきたい。


この図は、ユーザ(ペルソナ)を想定した上で行うソフトウェア開発におけるデザイン評価手法を表している。

図中の「Usability(使いやすさ)」と「Affinity(親しみやすさ)」は、ペルソナの重要な属性である。この二つの属性を持つペルソナが、右側に書かれた7つの評価項目を満たすように画面要素や画面遷移をデザインすることで、ペルソナの使いやすいソフトウェア開発が可能になると考える。

個人的な見解ではあるが、「善の愛好者」と「美の愛好者」がそれぞれ目指したものは、「Usability(使いやすさ)」と「Affinity(親しみやすさ)」に通じる概念ではなかったかと思う。

僕には、「プラトンは多くのさまざまな人間の行為と言葉を測り包括する基準あるいは尺度として導きのイデアを必要とした」とする記述から、アーレントは、プラトンが哲学者(美の愛好者と言いながらも)の属人的な判断に「Affinity(親しみやすさ)」的な要素を決定させることを嫌ったのではないか、という憶測がある。

注1:一連のデザイン手法について興味ある方は、「ヒューマン・センタード・デザイン」をご覧頂きたい。また、さらに詳細な質問については、個別にご質問ください。







以下のリンク先のレポート「科学における社会リテラシーの将来」には、とても興味深い内容が書かれている。
…プルトニウム型爆弾については1回だけ実験せざるを得なかった。幸か不幸か、このプルトニウム型爆弾の実験は大成功をおさめた。原爆そのものは許しがたいが、マンハッタン計画の在り方は、研究体制という意味では大きなイノベーションだった。国内外から優秀な研究者を集め、彼らのそれぞれに任務を与え、研究、提案をさせるシステムを作った。これは組織的な研究の最初であり、大型科学プロジェクトの原型、しかも最も成功した例となった。
後にノーベル物理学賞を受賞したファインマンもこの計画に参画した…ファインマンの本を読むと、核実験の成功を見た科学者が「何というものを作ってしまったんか」と後悔し話し合う場面がある。原子爆弾は、科学の力でいったん作られてしまったものは、科学者の手を離れて使われてしまうことの象徴的な事例だろう。p9-10
マンハッタン計画では、原子爆弾という原型制作が行われたと考えるべきだろう。そして、その製作に係わった優秀な研究者は、自らが与えられた役割に沿って「作った」だけであることは疑いようもない事実である。

実は、マンハッタン計画の出発点には、ハンナ・アーレントと同じドイツ出身のユダヤ人科学者が係わっていたという悲劇的な事実がある。
リーゼ・マイトナーはユダヤ人の女性科学者であり、当時はナチスで既にかなり台頭していたので、その後国外に脱出するが、その際、ドイツ人をはじめ各国の科学者が、彼女の脱出に協力したという大変ドラマチックな逸話がある。p7
更に、wikipediaに書かれた彼女の身に降り掛かった出来事は、どのように表現したら良いのだろう?
1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されると、マイトナーの元には取材が殺到した。当時、アメリカやドイツの原爆開発者とは連絡を取ることができなかったため、マイトナーに注目が集まったのである[43]。マイトナー自身は実際に投下されるまで原爆についてまったく知らなかったため、「ハーンも私も、原爆の開発にいささかなりともかかわっていません」と繰り返した[44]。
 マイトナーもまた、自らが与えられた役割に沿って「作った」だけであることは疑いようもない事実である。

6 件のコメント:

  1. 先日、僕と同年代の友人と話をしていて二人が同じ言葉に行き着いた。

    「この国は良い方向に進んでいない…」

    僕も、彼も、顧客から請け負った仕事に正面から向き合い、誠実に良いものを作り上げようと頑張ってきたという自負がある。それだけに、この言葉はとてもお重く感じられた。自分たちが与えられた役割の中で頑張っているという気持ちが、この言葉をより辛いものにしていく気がした。

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  2. itutubosi(井村泰三)2011年8月19日 20:23

    大学の教養課程程度にしか理解の無い私ですが、ツイッターを通してプラトンやアーレントに出会うとは、正に驚きです。科学の進展に伴って技術が独り歩き、それ故に何が誠なのか?混沌としているこの世の再確認のためにも、有効な考察かもしれませんね!私のいた物理の世界では、興味ある対象に対して、知の集積、理論展開、実証、結論、まとめ、の繰り返しですが、未熟な理論展開や方法論からは決して良い結果導くことはできません。原発はそのいい例かもしれないと思っています。最近、論理的に物事をとらえ、論じることに抵抗があるようですが、事を進めるにはそれはやはり必要十分な条件ではないかと......

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  3. プラトン的分離が工業デザインと製作過程の分離に対応している、という理解は正しいと思います。そして、アーレントはそのようなプラトン的分離に対して明らかに批判的ですね。

    なぜならプラトンは、「活動」としての政治を蔑ろにし、「製作」としての政治を理想化してきたからです。このような「活動」の軽視は、プラトン以降の西欧政治思想の伝統となってきた。「活動」を重要視するアーレントにとっては、これは批判せざるをえない事態でした。

    アーレントが考える「活動」の特徴は、予言不可能性、不可逆性、匿名性の三つですね。とくに活動の予言不可能性については、まず政治の原型(プロトタイプ)を構想し、それに基づいて物を製作するという方法とは異なり、「やってみなければ分からない」世界です。人と人とがコミュニケーションし、互いの「現れ」を示すときに何が起こるかは予測不可です。この点にこそ、人間の本質があるとアーレントは考えました。設計図通りに物を製作するだけなら、それは機械にもできる。これは人間の本質ではない、と彼女は考えていたようです。

    工業デザイナーのbugsworksさんがプラトンの思考に馴染むのは非常に納得です。では、bugsworksさんは上記のようなアーレントのプラトン批判には納得されるでしょうか?あるいは反論したいところがあるのでしょうか?
    というのが気になるところです。

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    1. momoki さんの質問にちゃんと答えられていなかったですね。

      随分と時間が経ってしまっているので、見てもらえるかわからないけど、書いておきます。

      工業デザインでは、量産されることを前提にしているので、参画しているデザイナーは、自分が良いと思っていても、自分が欲しいものを作っているわけではないと思います。それでも、自身の身体の大きさ、筋力、運動の頻度などから自分に相応しいものとしてのユーザビリティと、普段から使っていることから生じる親しみやすさとしてのアフィニティとを手掛かりにしながら、あらかじめ箇条書きされたコンセプトや必要条件に近づけるようにして、デザインを行います。

      また、ある対象と向き合うとき、誰もが同じように感知できるか、という問題が含まれます。

      個人のデザイナーではなく、「デザイン過程」という複数のデザイナーで行われるようなプロセスを指すのであれば、プラトン的分離は、工業デザインと製作過程に対応しているわけです。

      このとき、デザイナーたちは、あたかも「大きな人間」のような抽象的な人間と見做すことができるかもしれないし、その「大きな人間」が行うデザインは、「イデア」のようなものを生み出すかもしれません。ただし、その「イデア」は、複数のデザイナーたちの組み合わせに大きく依存するもので、彼らが常に同じ「イデア」あるいは、「プロトタイプ」を提示することはないと思います。これは、どのような生産ラインを使うのか、どのような職人の手助けを得られるかなどの組み合わせを含みます。

      > アーレントが考える「活動」の特徴は、予言不可能性、不可逆性、匿名性の三つですね。

      以上を踏まえれば、「デザイン過程」は、アーレントが考える「活動」そのものだと思います。

      個人的には、完成された作品(ワーク)としてモノづくりを行ったにも関わらず、使っていくうちに、もっと馴染むような箇所(バグ)を発見して、デザインをやり直すような循環的なモノづくりを目指したいと思っています。

      もっとも、経済活動としての工業デザインにおいては、マイナーチェンジをことさら強調して購買意欲を煽るようなことが行われていることも現実だと思います。工業デザインが、そのまま循環的なモノづくりであると考えられることは、ある意味での理想であり、少なくとも、今行われているすべての工業デザインの実態に重なるものではないことをご承知ください。

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    2. 日本人は、長い間、「美」のような概念を言葉にして語ることはありませんでした。一方で、西洋では、芸術家が製作しようとするモノについて語るとき、そこに豊穣な表現が常にあるように思われます。

      イデアは、そのような意味で語られる心象であり、概念ではないかと考えます。

      > アーレントが考える「活動」の特徴は、予言不可能性、不可逆性、匿名性の三つですね。

      「活動」の中でも、「美」や「イデア」のようなものを最初に言葉で語り、それに近づいていくことを考えて見てください。

      日本人だからと言って表現を控える必要はないのですが、普段から自分の心を言葉にして表現することができていなければ、「イデア」というものを実在的に語ることは難しいだろうなあ、と思います。

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  4. 哲人王プラトンは、さまざまな人とよく議論して、みんなの意志を自分の中で取りまとめた一般意志0.1のような感じなんでしょうかねえ…

    アーレントのプラトン批判は、この後の「許し」と「約束」の話の流れで触れていきたいと思っています。momokiさんが興味を持ってくださった例のダイモンの件についても、僕なりの考察をお聞き頂きたいところです。ぐふっ。

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