2011年10月23日日曜日

アイデンティティ

真実の自分]からの続き


アイデンティティとは、話し手自身の帰属意識にほかならない。

話し手は、自らのアイデンティティを自分の周囲にある人や物などに結びつけて捉えることができる。しかし、アイデンティティは自らが主体的に意識しない限り、日常的な生活では無意識につくられていくものでしかない。この文脈の中でアイデンティティとは、あくまでも個人の帰属意識であって、他者が大勢の人の中から特定の誰かを見つけ出すような識別子になるようなものではないことに注意しておいて欲しい。

もっとも、言語は常に多義的である。だから、そもそも誰かに伝える必然のない帰属意識としての意味と、個人を識別する情報としての意味があることは否定しない。たとえば、後者の意味は、ネットワーク上のコンピュータにアクセスに用いられるIDのようなものを指している。IDの意味するidentityとは、すなわち、本人であることを証明できる情報である(注1)

しかし、これまでの文脈で扱ってきたアイデンティティは、IDのような概念とは本質的に異なっている。たしかに、IDはユーザを表わす記号であり、大勢の人の中から特定の誰かを見つけ出すような識別子として用いられている。そして、これまでに述べてきたアイデンティティと同様に、本人性(authenticity)を見極めようとする概念にほかならない。だからこそ、当然混同されやすい。

そこで、これらの概念の明確な違いを示しておこう。

帰属意識を目的とするアイデンティティは、個人の意識の中枢にある。それに対して、識別を目的とするアイデンティティは、多くの人が周知するパーソナリティ(人格)のような象徴的な意味を伴った表現であり、どちらかと言えば、文字よりも記号に近く、直示的で多くの人々の意識に現われる個人のイメージになる。このような捉え方で言えば、名前さえ、個人を表わす記号でしかない。名前には、そこに込められた意味を読み取ることも可能だけれど、直示的に本人と結びついた名称である。

もっとも、現代人の一般的な生活では、前者よりも後者のアイデンティティの方が馴染みがあるのかもしれない。

たとえば、ポリスの市民は、自身の「卓越」を誰かに示そうとする時、アイデンティティを意識的に明らかにしたいと欲する機会に恵まれた。つまり、他者の客観的な評価に曝された自分を再帰的に捉えられる[真実の自分]にこそアイデンティティの本質であり、そのようなことを意識できた人は、当時でさえ極めて少ない人だけの特権であった。前者のアイデンティティについての定義は、やや遠回しな表現にならざるをえない。しかし、[人間的な特質]というものは、孤独のなかでは判じようがなく、他者を意識しない限り判じようがないものである。しかしながら、そのような話し手自身のアイデンティティは、自分をほかの人や物に置き換えたりできないという点で、自分の存在が常に中心にある。

パーソナリティとは、聞き手が抱く話し手のイメージである。そして、そのようなパーソナリティとは、[ダイモンの幸福]で示したように、他者の目に現われた、その人が「よく生きる(エウ・ゼーン)」姿である。だからこそ、聞き手が感じているパーソナリティはダイモンのように表現できたり、感じたりできるのである。つまり、聞き手が感じるパーソナリティの本質は、聞き手自身の記憶が引証点になっている。そのため、聞き手の抱く思い込みは、その状況に応じて大きく左右され、同じ人のパーソナリティを表わす表現が、ばらついたものになる。

コンピュータのアクセスに使われるIDが奇妙な意味に思われるのは、ユーザ自身のことでありながら、他者が表現するパーソナリティであるかのように自分自身を言葉で表現して、その表現を固定させてしまうことにほかならない。だからこそ、IDを忘れることが起こりうるのだ。それは、他人を識別する情報であればこそすぐさま忘れてしまうし、また、次の瞬間に抱くイメージが過去に抱いたイメージと一致しない為に、明確なパーソナリティというものがつくられにくい。

……

アーレントは、芸術家の天才的で客観的な観察力と表現力が、本人性を見抜くことについて言及している。
しかし、いくら天才に敬意を払ったところで、ある人の「正体」はその人自身によっては物化できないという基本的事実を変えることはできなかった。確かにその「正体」が芸術作品のスタイルや普通の手稿の中に「客観的に」現われるとき、人格のアイデンティティは明らかにされ、したがって作者を確かめることには役立つ。p337
このような芸術家のスタイルを見いだすようことは可能だろうか?

ともかく、本人性(=アイデンティティの正体)を見抜くには、話し手と同じアイデンティティに関わりを持つことが不可欠である。つまり、理論的に整理してみると、話し手の記憶と同じ引証点を聞き手自身の記憶の中に見いだすことができる場合にのみ、聞き手の話し手に対する主観的な思い込みが、話し手自身の感じているアイデンティティと重なるようになるからだ。話し手と聞き手の間に、同じ記憶が存在し、それがそれぞれの引証点として一致すれば、話し手は、聞き手と同じ、その人の本質に触れることができるはずである。

とはいえ、このような離れ業ができるのは、愛する者だけである。愛する者は、愛する人の正体を見抜くことができる。それは、愛する人の言葉と行動がどのように一致するかを見届け、そのひとつひとつの結果に対する顛末を見届けようとする忍耐力に基づいている。つまり、愛する者の根気強さに比較すれば、僕たちは、たいした忍耐も無く、普段の生活の延長に他者を認識しようとしている。だから、僕たち自身が持ち合わせた程度の記憶に、他者がもつ固有の記憶を見つけ出すことはなかなかできないのである。

愛する者が、愛する人の為に積み上げてきたと言ってもおかしくない、特別で膨大な記憶を引証点にできることを考えれば、僕たちが他者に抱くパーソナリティは、その人のアイデンティティと奇跡的に重なることがあっても、その人の本人性を確信することとはまったく異なったものになる。つまり、このように考察してみれば自明なことなのだが、愛は献身的であり、忍耐がその本質であるとも思える。だからこそ、愛する人の存在が、愛する者のアイデンティティの中枢にあることを可能にする。それは偶然などではなく、生を共にするものに与えられる必然でしかない。

このような愛の力を十分に理解しないうちには、アイデンティティが、もっと物質的なものにも結びついていると考える人の意見を遠ざけることは難しいだろう。たしかに、アイデンティティは、誰かが作って、運び、そこに展示された物を選択できる程度の手軽さで得られるという考え方もある。ファッションや消費をアイデンティティとして見なすことが間違っているとは思わない。ただし、そのような手軽さで得られたアイデンティティは、自分の身近なところに常に置いておくことはできるけれど、自分の中心には置きようが無い。

……

このようなアイデンティティとパーソナリティの違いは、ヴァルター・ベンヤミンが指摘した「いま」「ここに」しかないというオリジナルの芸術作品と複製された芸術作品の違いに通底している(注2)。複製された芸術作品は、たしかに、それを所有することができ、自分の近くに置いておくことができるが、その芸術作品が置かれた空間そのものの中に自身を置くことができない。つまり、オリジナルの芸術作品は、それが置かれた空間やその空間が作られてからの時間的な経過を含めて、作品の誕生から物語が始まっている。

愛する人とは、その人の誕生から現在に至る物語と、その人とともに歩んでいく未来へ続く物語という、二つの物語を「点」として繋ぐ「いま」を共有している。それは、通行人が偶然通りがかった店のショーケースに置かれた商品に目を留めるような「点」としてある「いま」とは大きく異なる時間のあり方でもある。つまり、アウラを放つ芸術作品に対して「特価品」のような札を貼る行為に似ていて、自分自身を記号のように意味づけすることは、その場の思いつき程度の意味しか与えることはできない。また、貼り付けられた札も、作品自体の本質を表わすことなど到底ない。


物は、誰かによって作られ、誰かとの思い出の中に現われたりする物であることから、人から切り離して持ち運べてしまえる。そして、複製技術によって作られる物だけに限れば、別の複製品を代償とすることで、客観的には安定したアイデンティティを取り戻すことも可能にする。
それは、世界の物の「客観性」のゆえである。この観点から見ると、世界の物は、人間生活を安定させる機能を持っているといえる。なるほどヘラクレイトスは、人間は二度と同じ流れの中に入ることはできないといったし、人間の方も絶えず変化する。それにも関わらず、事実をいえば、人間は、同じ椅子、同じテーブルに結びつけられているのであって、それによって、その人間の同一性、すなわち、そのアイデンティティを取り戻すことができるのある。世界の物の「客観性」というのはこの事実にある。言い換えると、人間の主観性に対立しているのは、無垢の自然の荘厳な無関心ではなく、人工的世界の客観性なのである。p225
だからこそ、現代人にとってのアイデンティティは、人工的世界の「客観性」にもとづいて識別される、物の同一性、あるいは、差異性に集約されているように思われる時がある。コンピュータは、識別情報とともに外部記憶にさまざまな情報を保存することをもっぱらとしている。だから、自分の置かれた情報を与えて、そのような膨大な情報からある特定の情報を抽出することは可能である。しかし、それが本人性を見極めようとすることを目的としているならば、ただただ懐疑的にならざるをえない。

このような懐疑は、「人間は二度と同じ流れの中に入ることはできない」という指摘に通じている。つまり、椅子やテーブルのような物に識別情報を与えて外部記憶に保存することができても、「人間の方も絶えず変化する」ものであるために、人は、さまざまな人間関係の中で、絶えずさまざまな役割を変化させている。その為に、再現された状態というのは、その過去にあったオリジナルな状態を忠実に再現しているように見えたとしても、個人の記憶に、過去が既にあるという事実から完全な再現になりえない。もちろん、本人性を見極めようとするならば、その過去の時点から現在にいたるまでの関連するすべての情報を遡って、愛する人がするのと同じように、愛する者とただただ根気づよく時間を共にすることが大切ではないかと考える。

現代社会では、アイデンティティとは、多くの人びとから特定の個人を識別する為の情報を表わすように思われる。しかし、アイデンティティの本質は、個人のうちにある無意識な記憶が引証点になっている。そのことを前提にすれば、外部記憶にあるアイデンティティとは、パーソナリティのような一時的に貼られたラベルに過ぎない。

アーレントは、以下のような指摘を行なっている。
この人格の不変のアイデンティティは、活動と言論の中に現れるが、それは触知できないものである。触知できるようになるのは、活動者=言論者の生涯の物語においてのみである。つまり、触知できる実体として、そのアイデンティティが知られ、理解されるのは、ようやく物語が終わってからである。いいかえれば、人間の本質(エッセンス)が現れるのは、生命がただ物語を残して去るときだけである。ついでに言えば、人間の本質(エッセンス)というのは、人間本性一般(そのようなものは存在しない)のことでもなければ、個人の特質や欠点の総計でもなく、実にその人の「正体(フー)」のことである。p312
「人格の不変のアイデンティティ」とは、さまざまな人が各々に抱く、ある個人に対するパーソナリティが変化しないものになるには、その個人が死んだ状態にほかならない。生命過程として終了しなくても、社会から孤立した存在になれば、この状態になることができる。だから、その人のパーソナリティは、その人の死後をきっかけにして「物語」になることもできる。だからこそ、「理解されるのは、ようやく物語が終わってからである」とあると指摘している。

僕たちが欲しているのは、外部記憶化されたような「知識」を再現することではなく、随時更新が必要な他者への「意識」ではないかと思う。その為に、アーレントは「活動」が必要だといっていることを聞き逃してはならない(注3)


注1:ヴァルター・ベンヤミンは、芸術作品のアウラについて定義を行なっている。『複製技術時代の芸術』 p14
ここで失われてゆく物をアウラという概念でとらえ、複製技術のすすんだ時代の中でほろびてゆくものは作品のもつアウラである、といいかえてもよい。このプロセスこそ、まさしく現代の特徴なのだ。このプロセスの重要性は、単なる芸術の分野をはるかにこえている。一般的にいいあらわせば、複製技術は、複製の対象を伝統の領域からひきはなしてしまうのである。複製技術は、これまでの一回かぎりの作品のかわりに、同一の作品を大量に出現させるし、こうしてつくられた複製品をそれぞれ特殊な状況のもとにある受け手の方に近づけることによって、一種のアクチュアリティを生みだしている。
注2:崎村夏彦さんのブログには、マイクロソフトの元アイデンティティ・アーキテクト Kim Cameron が定義した「インターネット世界におけるアイデンティティの7つの基本原則」の概要が掲載されている。オリジナルは、以下のアドレスを参照のこと。
http://www.identityblog.com/stories/2005/05/13/TheLawsOfIdentity.pdf

注3:第五章「活動」の最初の頁には、以下のダンテの文章が引用されている。 p285
どんな活動においても、行為者がまず最初に意図することは、自分の姿を明らかにすることである。これは止むを得ず活動する場合でも、自分の意志から進んでする場合でも同じである。どんな行為でも、行為している限り、その行為に喜びを感じるのはその為である。どんな行為でも、行為している限り、その行為に喜びを感じるのはそのためである。というのも、存在するものは、すべて、あるがままの自分を望むからである。さらに、活動においては、行為者であることはいくらか拡張されるから、喜びは必然的にそれに従う……だから、活動が隠された自己を明らかにしないなら、いかなるものも活動しないだろう。 

2011年10月17日月曜日

真実の自分


愛と苦痛の無世界性]からの続き


僕たちは、「正しい言葉」を使って誰かを説得しようとする。その「正しい言葉」とは、僕たち一人一人のリアリティにもとづいて発せられる言葉である。しかし、その言葉を聞いた人がリアリティを感じなければ、その言葉は本質的なものにはならない。つまり、言葉というものは、話し手にとっても、聞き手にとっても、リアリティを欠いてはならないものである。

しかし、現代社会に生きている僕たちは、リアリティを欠いた言葉にしばしば出くわすことがある。そして、リアリティを欠いていることに気まずく思う人は、言葉そのものを発することを控えようとしているようにみえる。またその一方で、リアリティを欠いていることに気づかずに、自分の言葉をただ発することに固執するような態度が増えてきているようにもみえる。

僕たちは、自らのリアリティにもとづく会話を止めるべきではない。しかし、会話の本質は、僕たちの周りにある事柄について、他の人との間にリアリティを共有することにあることを忘れてはならない。

……

ポリスの市民は、ポリス全体の人口から考えれば、少数派の特別な人たちであった(注1)から、ポリスの内と外との生活は随分と異なっていた(注2)

そして、ポリスの市民は、それぞれの家族や奴隷たちとの間に「言葉を欠いている」と感じていたという。しかし、この状況を具体的にイメージしてみると、家族や奴隷たちが言葉そのものを知らなかったのではなく、ポリスの市民が話している言葉の「概念を欠いていた(=意味を知らなかった)」のではないかと思われてくる。

例えば、あるポリスの市民が、その家族や奴隷たちに「アジア人の信仰する見えない神」について話そうとする状況をイメージしてみる。しかし、領地から出たこともない家族や奴隷たちからすれば、「アジア人」という言葉にあるアジアそのものを知らないし、そこに住む人びと知らなかったとしても無理はないのである。

つまり、
家族や奴隷たちの生活は、その「私的領域」の中に閉じている
ために、その領域の外のことは知らないために、それ以上のことを思い描くことはできなかったのではないだろうか。

一方、ポリスの市民は、ポリス独自の概念的基盤に立って政治的生活を行なっていた。それは、「一つの言葉が同じ概念を表わしている」という点において、極めて効率的なコミュニケーションを可能にする「公的領域」であった。

実際、ソクラテス、プラトン、アリストテレスをはじめとした、さまざまな学問の祖が現われ、新しい言葉を次々と生みだしていた。彼らは、新しい考え方や概念が見つかると、それを定義し、共通する概念的基盤に加えていったのである。

これらの新しい学問には、「メタ概念」を積極的に取り込もうとする特徴がある(注4)。「メタ概念」を用いると、より高い次元の概念を使った議論が可能になる。

例えば、ユークリッド幾何学では、
2つの点が与えられたとき、その2点を通るような直線を引くことができる
といった「公理(Axiom)(注3)」による概念的な定義を行なわれる。

この例では、「点」という「公理」を使って、「直線」という「公理」が定義されている。「点」や「直線」は何処にも存在しないが、「公理」のように、それが何を表わすかを定義すると、その概念(=「メタ概念」)があるものとして取り扱えるようになる。その結果、より複雑な事象について説明することが可能になるのである。

もちろん、「公理」に定義された内容を疑い始めればきりがない。しかし、その定義そのものは、その分野における「卓越」した能力者によってなされるものであるから、「公理」のような
「メタ概念」は、高度に発達した言語
として、ポリスの市民の会話に使われるようになっていった。

ポリスの市民の場合、その極だって優れた能力から得られた希有な経験や知見は、他人から自分を区別する「卓越」したものであった。
かつて、少数の「平等なる者」(homoioi)に属するということは、自分と同じ同格者の間に生活することが許されるという意味があった。然し、公的領域そのものにほかならないポリスは、激しい競技精神で満たされていて、どんな人でも、自分を他人と常に区別しなければならず、ユニークな偉業や業績によって、自分が万人の中の最良の者であること(aien aristeuein)を示さなければならなかった。『人間の条件』p65
だから、彼らがそのような「卓越」を「正しい言葉」として表現しようとしても、他のポリスの市民には、その「卓越」の本質に触れることは容易なことではなかった。

ポリスの市民は、言葉と説得によって活動する人びとであった。
いいかえると、公的領域は個性のために保持されていた。それは、人びとが、他人と取り替えることのできない真実の自分を示しうる唯一の場所であった。各人が、司法や防衛や公的問題の管理などの重荷を多かれ少なかれ進んで引き受けていたのは、真実の自分を示すというこのチャンスのためであり、政治体にたいする愛のためであった。p65
しかし、どれだけ言葉による説得の技術を磨いても、その「卓越」した経験と同じ経験をした人がいないという前提のもとでは、その「無経験」な相手のリアリティに結びつきようはない。だからこそ、ポリスの市民は、「真実の自分」は、ポリスの多くの市民たちから見られ、聞かれることによって存在しうると考えたのである(注5)

アーレントは、ポリスの公務を自ら進んで引き受けるような姿を「政治体」にたいする「愛」として表現したが、
ポリスの市民には、「公的領域」が帰属意識の中心にあった
ことは間違いないだろう。

たとえば、僕たちの目の前で、ウサイン・ボルトが「陸上競技100メートル走」を行なったとする。僕たちは、彼の走る速さに驚き、その走りを直接見たという「経験」から、彼を他のアスリートから区別しようとするだろう。僕たちは、ボルトが「陸上競技100メートル走」について話しているのを聞けば、本人にしか判らない世界がそこにあるだろうと疑わないだろう。そして、僕たち自身も、それを見たという「経験」を証拠として、彼の「卓越」を信じているのである。

さように、「公理」を用いた数学的問題でも、超人的なパフォーマンスでも、ポリスの市民にとって、そうした「卓越」した結果を生みだす人であると「公的領域」において認められることは重要なことであった。なぜなら、そのような「経験」が、ポリスの市民のリアリティを確かなものにする一つの基準、「引証点」になっていたからである(注6)

……

たしかに、ポリスの市民の家族や奴隷たちは、その「私的領域」にあることしか知らなかった。つまり彼らは、「言葉(が示しているものの知識)」を理解しようにも、概念的な基準となる「引証点」は、彼らの領域のどこにもなかったのである。

一方、ポリスの市民は、「真実の自分」という自らのアイデンティティを大切にしようとしていた(注7)。自らの「卓越」を言葉では十分に表現できない場合でも、「卓越した結果」を「公的領域」において発揮することで、より多くの人びとが認めるような「卓越した存在」であろうとしたのである。

このように考えてみると、説得の技術として生みだされたさまざまな修辞技法(注8)が、会話をしている人の「経験」に裏打ちされるものであることはとても興味深い。たとえば、比喩的な表現というものは、聞き手の「経験」があってこそ、生き生きとした実感を伴って理解されるものである。
ボルトのように駆け出そうとしたが、そうはいかなかった。〔直喩〕
では、ボルトがどのような人物であるか判らなければ、曖昧な表現となる。

「メタ概念」や修辞技法は、その表現の本質に迫ろうとするとき、重要な言葉の「引証点」となりえる部分は言葉そのものとしてそこには存在しない。たとえば、「直線」の概念を説明する場合には「点」の定義が前提になっているし、〔直喩〕表現の場合には聞き手の「経験(ボルトはどんな人物であるのか?)」が前提になっている。つまりこれらの「引証点」を正しく理解するための「経験」が前提になっているからこそ、このような表現は妥当なのである。

なるほど。

ポリスの市民一人一人は、「他人と取り替えることのできない真実の自分」を示そうとした。それは、個人のアイデンティティを明確にするものであり、ポリスの概念的基盤において「一つの言葉が同じ概念を表わしている」と同質の効果を生みだすものであり、そして、「公的領域」において極めて効率的なコミュニケーションを可能にさせるものであった。

このような「真実の自分」とは、自分自身のイメージを思い描くことから始まるものであることは間違いないだろう。しかし、その「私的」なイメージを個人のアイデンティティとしているのは、多くの人びとが認めるリアリティの総和を「引証点」としていることを忘れてはならない。なぜなら、他人から見聞きされることを奪われるような状態になれば、すぐさま主観的なただ一つの「経験」の中に閉じ込められてしまう状態にあり続けるからである(注9)

「真実の自分」にとって、他人との「客観的」関係が必要であり、他人によって保証されるリアリティが、世界のリアリティとなるのである。だからこそ僕たちは、この世界のリアリティを確かめようとして、会話をしているのではないだろうか。


注1:ポリスの一つ[スパルタ]においては、スパルタ市民は18歳以上の成年男子で構成され(人口8千~1万人であったが家族を含めて5万人程度)。約15万人とも25万人ともいわれるヘイロタイ(奴隷)がいたとされる。

注2:ポリスの内と外とは、単純に[アクロポリス]のような空間によって区切られるものではない。それは、[汝らの行くところ汝らがポリスなり]でも考察しているように、ポリスにおける政治的生活は、ポリスの市民の意識の中で区切られていたと考えられる。

注3:現代では、公準(Postulate)と同じ意味として用いられている。

注4:このように考えてみると、「形而上学」がアリストテレスの死後にまとめられたものであることは偶然ではないように思われる。

注5:参照 p85-86
…なるほど共通世界は万人に共通の集会場ではあるが、そこに集まる人びとは、その中で、それぞれ異なった場所を占めているからである。そして二つの物体が同じ場所を占めることができないように、ひとりの人の場所が他の人の場所と一致することはない。他人によって、見られ、聞かれるということが重要であるというのは、すべての人が、みなこのようにそれぞれに異なった立場から見聞きしているからである。これが公的生活の意味である。
注6:参照 p86
物がその正体を変えることなく、多数の人びとによってさまざまな側面において見られ、したがって、物の周りに集まった人びとが、自分たちは同一のものをまったく多様に見ているということを知っている場合にのみ、世界のリアリティは真実に、そして不安げなく、現われることができるのである。
注7:ポリスの市民の誰もが認めるような「真実の自分」であろうとすること。このテーマは、ポリスの市民の私的生活における立場と比較すると極めて興味深い。
この生活にくらべれば、最も豊かで、最も満足すべき家庭生活でさえ、せいぜい、自分の立場を拡大し、拡張するだけであり、同一の側面と遠近法を提供するだけである。私生活の主観的状態はたしかに家庭の中で、拡大され、拡張される。しかも、それが強くなって、その重みが公的領域の中で感じられるようになることさえある。しかしその場合でも、この家族の「世界」は、一つの対象が多数の観客に与える諸側面の総計から生まれるリアリティに取って代わることはできない。p86
ポリスの市民は、家族の「世界」においては、家長としての僭主的な立場にあることから「真実の自分」を宣言すること自体が意味をなさない。大切なことは、そのような宣言の内容と同じように、他の大多数のポリスの市民から認められることである。自らの宣言と多様な意見を持つ人びとが認めるところに、他人によって保証されるリアリティの本質がある。

注8:wikipediaの[修辞法]を参照。

注9:アーレントは、
共通世界の条件のもとで、リアリティを保証するのは、世界を構成する人びとすべての「共通の本性」ではなく、むしろなによりもまず、立場の相違やそれに伴う多様な遠近法の相違にも係わらず、すべての人がいつも同一の対象に係わっているという事実である。しかし、対象が同一であるということがもはや認められない時、あるいは、大衆社会に不自然な画一主義が現われるとき、共通世界はどうなるだろうか。そのような場合には、人びとの共通の本性を持ってしても、共通世界の解体は避けられない。この場合、普通、共通世界の解体に先立って、共通世界が多数の人びとに示す多くの側面が解体する。p86
としている。
しかし、それは、大衆社会や大衆ヒステリーの場合にも起こりうるのであって、その場合には、突然、まるで一家族のメンバーであるかのように行動し、それぞれが自分の隣人の遠近法を拡張したり、拡大したりする。この二つの事例において、人びとは完全に私的になる。つまり、彼らは他人を見聞きすることを奪われ、他人から見聞きされることを奪われる。そして、この経験は、たとえそれが無現場に拡張されても単数であることは変わりはない。共通世界の終わりは、それがただ一つの側面のもとで見られ、たった一つの遠近法において現われる時、やってくるのである。p87
もっとも、そうした[宇宙の視点]から眺めるような世界のリアリティに対する客観的な考察が行なわれるようになったのは、アルキメデス以降のことである。

2011年10月5日水曜日

愛と苦痛の無世界性

家族とポリスの深淵]からの続き


ポリスの市民は、新しい理想に向かって旅立つために、それまで信仰してきた宗教と決別するほど大きな決断をして「深淵」を渡った。

「深淵」を渡った先にあったのは、政治的生活と私的生活を明瞭に区分する概念的基盤だった。それは、アリストテレスによって提示された「(ポリス)全体の理想」であり、ポリス公認の宗教に改宗した「(市民)個人の価値観」の根底を支えた。つまり、そうした概念的基盤が明らかになったことで、ポリスの市民は、他の市民とほぼ同じ意味の言葉を持つことができるようになった。

それは、[汝らが行くところ汝らがポリスなり]で考察したように、ポリスの市民が一つの表現者となって生まれ変わったように思える出来事であった。

政治的イデオロギーや宗教や文化による価値観の違いが、現代において、さまざまな戦争や対立の火種になっていると指摘されている。このような事例を考えてみれば、こうした価値観を変えるような決断が、ポリスの創設時から、言葉と説得によって行なわれたことには驚きを隠せない。

……

市民は、家長として家族のすべてを支配する立場にあったし、主人として奴隷に命じる立場にあった。市民は、その私的生活においては、家長として家族(私的領域)にたいする「必然(生命の必要)」から暴力さえ振るう必要があった。なぜなら、かれらが暴力を振るった相手とは、「言葉に欠けている」人びとであったからである。

たしかに、ギリシアの哲学者たちは、
必然に従属した暴力は正しい
と考えていた。

そして市民は、自らの価値観(必然)を信じて行動する人であった。だからこそ、意思疎通できる人びととの関係、つまり、言葉と説得によって行なうポリスでの政治的生活を望んだ。

僕たちは、「暴力」が振るわれている人の苦痛に歪む顔を見るだけで、異なる苦痛を感じることがある。僕たちは、他者に与えられている「肉体的苦痛」に、意図せず自らの感情や感覚を重ねてしまう。僕たちは、「暴力」が「肉体的苦痛」と「精神的苦痛」を生みだすことを経験的に知っている。

僕たちが「暴力」を遠ざけたい理由の一つには、そうした「苦痛」から逃れたいと思う気持ちがあるし、できることなら、「暴力」を振るわずにいたいと思う。それが、言葉と説明によって行なうことの最も重要な点だと思う。

だから、ポリスの市民の私的生活において、その家族としての繋がりが「必然に従属した暴力」だけによるものであったと表層的に断じることは努めて避けるべきだろう。

……

アーレントは、「愛」が、家族(私的領域)の中心にあるものと考えている。

そして、
たとえば、友情と異なって、愛は、それが公に曝される瞬間に殺され、あるいはむしろ消えてしまう。(「汝の愛を語らんとする事なかれ/愛は語ること能わざるものなればなり」)。愛はそれに固有の無世界性(注1)のゆえに、世界の変革とか世界の救済のような政治的目的に用いられるとき、ただ偽りとなり、堕落するだけである。『人間の条件』p77
とした。

つまり「愛」は、
世界に取って代わるほど十分強力な、人びとを相互に結びつける絆p79
であり、「無世界(=世界に取って代わるもの)」でさえある。

アーレントによれば、「愛」の言葉は、「愛する思い」を抱く人と人の間のみで交わされるべきものであり、その個人的経験を公にした途端に「ただ偽りとなり、堕落する」だけである、という。

なるほど。このような「愛する思い」は「肉体的苦痛」と酷似している。

僕たちが経験する「肉体的苦痛」は、それを言葉に置き換えても伝わらない(注2)。「肉体的苦痛」は、当事者のみがその瞬間にだけ感じるものだ。だから、そういった感覚を表現されても、僕たちは、その言葉が、自分たちの経験と似たようなものだろうと想起できても、自分自身のリアリティに結びつけようがない(注3)ことを経験的に知っている。

たとえば、裁判のような場所で、ある事故に巻き込まれた被害者がどれほど痛かったかを陳述しても意味が無い。そのような言葉は、裁判官の心証を返って悪くするだけである。表現しようとすればするほど、「ただ偽りとなり、堕落する」だけである。
いいかえると、苦痛は、本当に、「人びとの間にある」(inter hominess esse)ものとしての生と死との境界線上の経験である。それは、あまりにも主観的で、あまりにも事物と人びとの世界から離れているので、どんな外形(アピアランス)をとることもできない。p76
だから、「肉体的苦痛」であれ、「愛する思い」であれ、このような主観的感覚を[正しい言葉]に表わせるならば、この世界に「表現できない言葉」などありえないことになる。しかし、僕たちは、[宇宙の視点]でもって世界を眺めようとしている現代においても、このような主観的感覚を客観的に捉えることはできないでいる。つまり、このような感覚や感情は、本質的に「言葉に欠けている」のではなく、自分自身のリアリティに結びつくような「言葉にすることができない」のである。

しかし、ポリスの市民にとって、家族とは、このような「肉体的苦痛」を与える者と与えられる者との関係であり、「愛する思い」を与える者と与えられる者との関係であったことは間違いない。だからこそ、家族であることは、その「必然(生命の必要)」を共有する関係であり、ひとつひとつの感覚や感情をいちいち言葉にしなくても用が足りたと言えなくはないだろう。


いずれにしても、これらの、私的生活の中にあった「無世界性」は、「罰」と「愛」を語る宗教によって言葉と説得が行なわれるようになる。

……

一方、ポリスの市民の政治的生活の中心には、「肉体的苦痛」や「愛する思い」とは異なる種類の「無世界性」があったのではないだろうか。

僕は[より正しい言葉]において、
しかし、公的領域そのものにほかならないポリスは、激しい競技精神で満たされていて、どんな人でも、自分が常に他人と区別しなければならず、ユニークな偉業や成績によって、自分が万人の中の最良であること(aien aristeuein)を示さなければならなかった。いいかえると公的領域は個性のために保持されていた。p65
と引用した。

つまり、ポリスの市民は「ユニークな偉業や成績」によって「自分が万人の中の最良」であり、ポリスにおける唯一な存在であった。だからこそ、他の市民との会話の中で、「外形(アピアランス)をとることができない自分だけが知る概念」に気づき、そのような概念は「表現しようとしても伝えることのできない無世界性」であったと考えられる。

実際、このような考察を行なってみると、市民一人一人の超人的な経験が「観照的生活」を大切にしたいとする思想的背景になっていたようにも思われる。

この政治的生活の中に見つかった「無世界性」は、なんとなく似たような言葉を見つけて話すことができるものの、「そのものに当てはまる概念」を「記憶」の中に見つけることができない。つまり、「無参照」であり(注4)、「無経験」である。しかし、僕たちは、このような超人的な能力を持った人たちだけが気づいた概念や価値観に凄まじい興味を持っている。そのため、こうした超人の言葉と説得が行なわれることを望み、同時に、同じ「経験」をしたいと望んでいる。

そのような「無参照」で「無経験」な概念は、現代では「科学」と呼ばれている。しかし、少なくともギリシア人にとって、それは「哲学」に含まれる学問であったのだ。


注1:[世界の一部(of the world)]を参照。
注2:参照 p76
…この肉体的苦痛は、同時に、すべてのもののうちでもっとも私的で、もっとも伝達しにくいものである。激しい肉体的苦痛というのは、おそらく、公的現われに適した形式に転形できない唯一の経験であろう。
注3:参照 p76
そればかりか、肉体的苦痛は、私たちからリアリティにたいする感覚を実際に奪うので、肉体が苦痛状態にあるときは、真っ先にリアリティが忘れられてしまう。私が自分自身をもはや「認識」できないほどリアリティを見失っている。
アーレントは、以下のようにも述べている。参照 p85
そのうえ、たとえこの欲求が、共苦(シンパシー)という一種の奇蹟にを通して、他人により共有されたとしても、この欲求は空虚なものであるから、それが、共通世界のようななにか固い、耐久力のあるものを樹立することは不可能であろう。
 注4:コンピュータの場合、Not Found(404)は、明確に提示できるのだが、人間は、このような「無参照」を概念としてもつことができないように思う。

2011年10月4日火曜日

家族とポリスの深淵

必然と暴力と自由]からの続き


都市国家(ポリス)の市民は、
家族内における生命の必要〔必然〕を克服すること
を優先させていた。だから市民は、私的生活(私的領域)をしっかりと築き上げないことには、政治的生活(公的領域)における「自由」が得られないことをよく理解していた。

しかし、ポリスでの生活を手に入れても、二つの生活をうまく区別できない市民が多くいたポリスでは、ポリスが「解体」されることになった。

もっとも、
ポリスの創設に先立って部族や種族のような血縁にもとづいて組織された単位が、ことごとく解体したというのは、アリストテレスが勝手に作った理論や見解ではなく、単純に歴史的事実であった。『人間の条件』p45
とあるように、すべてのポリスが「解体」されたのではなく、歴史に残された事実はむしろ、ポリスの市民たちの家族が「解体」されていったという事実である。

ポリスの市民としてあり続けるには、二つの「適応」が必要であった。

一つ目の「適応」は、アリストテレスの提示した「定式化された意見(=ポリスで当時一般的だった意見を定式化)」を市民が受け容れる(注1)ことによる「適応」であった。その結果、「定式化された意見」を反映したポリスの生活様式(政治的生活)は、多くの市民の抱く「(ポリス)全体の理想」を共有することになった。

その具体的なイメージは、次の文章から読み取ることができるだろう。
政治的であるということは、ポリスで生活するということであり、ポリスで生活するということは、すべてが力と暴力によらず、言葉と説得によって決定されるという意味であった。ギリシア人の自己理解では、暴力によって人を強制すること、つまり説得するのではなく命令することは、人を扱う前政治的方法であり、ポリスの外部の生活に固有のものであった。すなわちそれは、家長が絶対的な専制的権力によって支配する家庭や家族の生活に固有のものであり、その専制政治がしばしば家族の組織に似ているアジアの野蛮な帝国の生活に固有のものであった。p47
要するに、ポリスの内部では、人びとは政治的生活を行なったが、ポリスの外部では、すべての人が前政治的方法であったとのだろう。

もう一つの「適応」は、市民がそれまでに信仰してきた家庭と家族の宗教からポリス公認の宗教への「適応」である。この改宗によって、市民のリアリティには大きな変化が起きただろう(注2)。実際、宗教は、家族の血統のように受け継がれていくものである(注3)ことを考えると、この改宗が「ポリスの創設に先立って部族や種族のような血縁にもとづいて組織された単位が、ことごとく解体した」ことの直接的な要因になったのではないだろうか。いずれにせよ、家族の生活様式(私的生活)を支配するポリス公認の宗教になったことで、市民の思想的な背景は「個人の価値観」として通底することになった。

つまり、これら二つの「適応」は、ポリスという一つの社会システムの中で生活する市民にとって、「全体の理想」と「個人の価値観」といった概念的基盤を生みだした。その結果、市民は、この概念的基盤の上に、家族(私的領域)とポリス(公的領域)の明瞭な境界線を見つけることで、二つの生活をうまく区分できるようになった。

アーレントは、この境界線を「深淵」と呼んでいる。
家族の狭い領域を日々飛び超え、政治の領域の中に「攀じ登る」ために、古代人たちが渡らなければならなかった深淵が消滅したというのは、本質的に近代の現象である。私的なものと公的なものとの間にこのような深淵は、中世にもまだ存在していた。しかし、その頃になると既に、それはその意味を多く失い、その場所を完全に変えていた。p55
この「深淵」という表現自体は、「ルビコン川」を渡るような喩えだと思う。つまり、この「深淵」をわたる為に市民は、それほど強い意志のもと、判断する必要があったのだろう。

もっともアーレントは、このような政治的生活と私的生活が区分できたのは、中世までであり、近代以降には、この区分が消滅したと述べている。このあたりについては、今後、考察を加えていきたいと思う。
注1:参照 p48
アリストテレスは、人間を一般的に定義づけようとしたのでもなければ、人間の最高の能力を示そうとしたのでもなかった。彼にとって、人間の最高の能力とは、logos すなわち言論あるいは理性ではなく、 nous すなわち観照の能力であって、その主要な特徴は、その内容が言論によっては伝えられないところにある。この二つの有名な定義によって、アリストテレスはただ、人間と政治的生活様式に関して、ポリスで当時一般的だった意見を定式化したにすぎなかった。そしてこの意見によれば、ポリスの外部にあるすべての人―奴隷と野蛮人―は aneu logou すなわち言葉を欠いていた。いいかえると、彼らは、言論の能力のみならず、言論が、そして言論だけが意味を持ち、全市民の中心的関心が互いに語り合うことにあったような生活様式をも、奪われていた。p48
注2:アーレントが脚注に当てたフュステル・ド・クーランジュの言葉を参照 p112。
「家族と都市の間の亀裂がローマよりもギリシアではるかに深かっただけではない。ただギリシアにおいてのみ、オリンピアの宗教、ホメロスと都市国家の宗教が、家庭と家族のいっそう古い宗教から離れ、それを凌駕していたのである。…つまり、ポリスの公認の宗教においてヘスチアは、十二人のオリンピアの神々の集会でその地位をディオニュソスに譲らなければならなかったのである。」
注3:アーレントは、この改宗についての言及をほとんどしていない。キリスト教の影響を考えれば、その効果をあまりなかったと考えているのかもしれない。

2011年10月2日日曜日

必然と暴力と自由

より正しい言葉]からの続き

僕たちは、僕たちの国家を解体できるか?
より正しい言葉]の文末に、僕があげたテーマである。

もし、僕たちが生きている「国家」を「解体」するとすれば、何から考えるべきだろうか?

僕自身は、なんとか生き延びることができるとしよう。

では、僕の「家族」はどうなってしまうのだろう?

「子供」は?

「両親」は?

「友人」は?

そして、「日本人」はどうなってしまうのだろう?

……

ポリス市民は、ポリスの「解体」を決めたとき、どのように考えたのだろう?

それには、まず、ポリス市民を正しくイメージする必要があるだろう。彼らは、現代人が田舎から都会に引っ越してきたような一人暮らしをしている訳ではない。

彼らは、領地を持ち、「家」を持ち、そして、奴隷を従えていた。
歴史的に見ると、都市国家と公共領域の勃興は、家族の私的領域を犠牲にして起こったように思える。…ポリスが市民の私生活に侵入するのを防ぎ、それぞれの財産を取り囲む境界を神聖なものとして保持していたのは、私たちが理解するような私有財産への敬意のためではない。そうではなく、家を持たなければ、人は、自分自身の場所を世界の中に持つことができず、そうなれば、世界の問題に参加することができないからであった。『人間の条件』p50-51
つまり、「家」という私的領域を持っていることが、この時代の世界に参加するための条件、ポリス市民の条件であった。だから、市民は、自分自身を守るために「家」を守る必要があったと考えることもできるが、「家」を守るために、市民としての世界に参加していたのである。

だから、彼らの私的生活が、
暴力によって人を強制し、絶対的な専制的権力によって支配される
ものであっても、それは、家族すべての生活に秩序を与えるためにあった。

彼らの私的生活の中にあった暴力は、生命を生み、育み、栄養を与えるための労働の「必要〔必然〕」から生じるものであった(注1)

そのうえ、ギリシアの哲学者は、
  • 「自由」は、政治的領域に位置するもの
  • 「必然」は、前政治的現象であり、私的な家族組織に特徴的なもの

と考えていたために、
すべての人間は必然に従属しているからこそ、他者に対して暴力を振るう資格をもつ
とした。だから、ギリシアの哲学者は、
必然に従属した暴力は正しい(注2)
と考えたのだ。

いずれにせよ、
ポリスにおける自由を得ること
よりも、
家族内における生命の必要〔必然〕を克服すること
を優先させた市民たちは、ポリスの「解体」を選択した。

つまり、このように考えるに至った市民たちは、ポリスにおける政治的活動を進めようとしたら、
必然に従属しない暴力
が現われるようになり、
家族内における生命の必要〔必然〕を克服すること
に矛盾すると考え、その瞬間、「より正しい言葉」を見つけたのだろう。

……

そのような思考過程には、冒頭にあげた「解体」という結果を想定するところから考えを模索する姿はない。

つまり、
家族内における生命の必要〔必然〕を克服すること
から始まり、その前提があって「自由」であることを模索する姿があったはずだ。

僕たちは「なんとか生き延びる」ことから考え始めてしまっていたが、ギリシア人は「よく生きる」ということを考えて生きようとしていたのである(注3)

なるほど。この「必然」と「自由」の順番について、僕たちは今一度、その意味について考えてみるべきものがあるだろう。なぜなら、僕たちは、僕たち自身にとっての「必然(=生命の必要)」をあやふやにしているように思うからである。


家族とポリスの深淵]に続く

注1:参照 p51
人びとが家族の中で共に生活するのは、欲求や必要によって駆り立てられるからである。この駆り立てられる力は生命そのものであって―家族の守護神であるペナテスは、プルタルコスによれば、「われわれを生かし、われわれの肉体に栄養を与える神」であった―それは、個体の維持と種の生命の生存のために、他者の同伴を必要とする。個体の維持が男の任務であり、種の生存が女の任務であるというのは明らかであって、この両方の自然的機能、つまり栄養を与える男の労働と生を与える女の労働とは、生命が同じように必要とするものであった。したがって、家族という自然共同体は必要〔必然〕から生まれるものであり、その中で行なわれるすべての行動は、必要〔必然〕によって支配される。
注2:参照 p52
どれほどポリスの生活に反対していようとも、ギリシアの哲学者ならでは誰でも、自由はもっぱら政治的領域に位置し、必然はなによりもまず前政治的現象であって、私的な家族組織に特徴的なものだと考えていた。そして力と暴力がこの領域で正当化されるのは、それらが―たとえば奴隷を支配することによって―必然を克服し、自由となるための唯一の手段であるからだということを当然なことと見ていた。すべての人間は必然に従属しているからこそ、他者に対して暴力を振るう資格をもつ。
注3:アーレントは、アリストテレスが考えた幸福(エウダイモン)の概念について考察を行なっている。[ダイモンの幸福]を参照。