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2011年10月5日水曜日

愛と苦痛の無世界性

家族とポリスの深淵]からの続き


ポリスの市民は、新しい理想に向かって旅立つために、それまで信仰してきた宗教と決別するほど大きな決断をして「深淵」を渡った。

「深淵」を渡った先にあったのは、政治的生活と私的生活を明瞭に区分する概念的基盤だった。それは、アリストテレスによって提示された「(ポリス)全体の理想」であり、ポリス公認の宗教に改宗した「(市民)個人の価値観」の根底を支えた。つまり、そうした概念的基盤が明らかになったことで、ポリスの市民は、他の市民とほぼ同じ意味の言葉を持つことができるようになった。

それは、[汝らが行くところ汝らがポリスなり]で考察したように、ポリスの市民が一つの表現者となって生まれ変わったように思える出来事であった。

政治的イデオロギーや宗教や文化による価値観の違いが、現代において、さまざまな戦争や対立の火種になっていると指摘されている。このような事例を考えてみれば、こうした価値観を変えるような決断が、ポリスの創設時から、言葉と説得によって行なわれたことには驚きを隠せない。

……

市民は、家長として家族のすべてを支配する立場にあったし、主人として奴隷に命じる立場にあった。市民は、その私的生活においては、家長として家族(私的領域)にたいする「必然(生命の必要)」から暴力さえ振るう必要があった。なぜなら、かれらが暴力を振るった相手とは、「言葉に欠けている」人びとであったからである。

たしかに、ギリシアの哲学者たちは、
必然に従属した暴力は正しい
と考えていた。

そして市民は、自らの価値観(必然)を信じて行動する人であった。だからこそ、意思疎通できる人びととの関係、つまり、言葉と説得によって行なうポリスでの政治的生活を望んだ。

僕たちは、「暴力」が振るわれている人の苦痛に歪む顔を見るだけで、異なる苦痛を感じることがある。僕たちは、他者に与えられている「肉体的苦痛」に、意図せず自らの感情や感覚を重ねてしまう。僕たちは、「暴力」が「肉体的苦痛」と「精神的苦痛」を生みだすことを経験的に知っている。

僕たちが「暴力」を遠ざけたい理由の一つには、そうした「苦痛」から逃れたいと思う気持ちがあるし、できることなら、「暴力」を振るわずにいたいと思う。それが、言葉と説明によって行なうことの最も重要な点だと思う。

だから、ポリスの市民の私的生活において、その家族としての繋がりが「必然に従属した暴力」だけによるものであったと表層的に断じることは努めて避けるべきだろう。

……

アーレントは、「愛」が、家族(私的領域)の中心にあるものと考えている。

そして、
たとえば、友情と異なって、愛は、それが公に曝される瞬間に殺され、あるいはむしろ消えてしまう。(「汝の愛を語らんとする事なかれ/愛は語ること能わざるものなればなり」)。愛はそれに固有の無世界性(注1)のゆえに、世界の変革とか世界の救済のような政治的目的に用いられるとき、ただ偽りとなり、堕落するだけである。『人間の条件』p77
とした。

つまり「愛」は、
世界に取って代わるほど十分強力な、人びとを相互に結びつける絆p79
であり、「無世界(=世界に取って代わるもの)」でさえある。

アーレントによれば、「愛」の言葉は、「愛する思い」を抱く人と人の間のみで交わされるべきものであり、その個人的経験を公にした途端に「ただ偽りとなり、堕落する」だけである、という。

なるほど。このような「愛する思い」は「肉体的苦痛」と酷似している。

僕たちが経験する「肉体的苦痛」は、それを言葉に置き換えても伝わらない(注2)。「肉体的苦痛」は、当事者のみがその瞬間にだけ感じるものだ。だから、そういった感覚を表現されても、僕たちは、その言葉が、自分たちの経験と似たようなものだろうと想起できても、自分自身のリアリティに結びつけようがない(注3)ことを経験的に知っている。

たとえば、裁判のような場所で、ある事故に巻き込まれた被害者がどれほど痛かったかを陳述しても意味が無い。そのような言葉は、裁判官の心証を返って悪くするだけである。表現しようとすればするほど、「ただ偽りとなり、堕落する」だけである。
いいかえると、苦痛は、本当に、「人びとの間にある」(inter hominess esse)ものとしての生と死との境界線上の経験である。それは、あまりにも主観的で、あまりにも事物と人びとの世界から離れているので、どんな外形(アピアランス)をとることもできない。p76
だから、「肉体的苦痛」であれ、「愛する思い」であれ、このような主観的感覚を[正しい言葉]に表わせるならば、この世界に「表現できない言葉」などありえないことになる。しかし、僕たちは、[宇宙の視点]でもって世界を眺めようとしている現代においても、このような主観的感覚を客観的に捉えることはできないでいる。つまり、このような感覚や感情は、本質的に「言葉に欠けている」のではなく、自分自身のリアリティに結びつくような「言葉にすることができない」のである。

しかし、ポリスの市民にとって、家族とは、このような「肉体的苦痛」を与える者と与えられる者との関係であり、「愛する思い」を与える者と与えられる者との関係であったことは間違いない。だからこそ、家族であることは、その「必然(生命の必要)」を共有する関係であり、ひとつひとつの感覚や感情をいちいち言葉にしなくても用が足りたと言えなくはないだろう。


いずれにしても、これらの、私的生活の中にあった「無世界性」は、「罰」と「愛」を語る宗教によって言葉と説得が行なわれるようになる。

……

一方、ポリスの市民の政治的生活の中心には、「肉体的苦痛」や「愛する思い」とは異なる種類の「無世界性」があったのではないだろうか。

僕は[より正しい言葉]において、
しかし、公的領域そのものにほかならないポリスは、激しい競技精神で満たされていて、どんな人でも、自分が常に他人と区別しなければならず、ユニークな偉業や成績によって、自分が万人の中の最良であること(aien aristeuein)を示さなければならなかった。いいかえると公的領域は個性のために保持されていた。p65
と引用した。

つまり、ポリスの市民は「ユニークな偉業や成績」によって「自分が万人の中の最良」であり、ポリスにおける唯一な存在であった。だからこそ、他の市民との会話の中で、「外形(アピアランス)をとることができない自分だけが知る概念」に気づき、そのような概念は「表現しようとしても伝えることのできない無世界性」であったと考えられる。

実際、このような考察を行なってみると、市民一人一人の超人的な経験が「観照的生活」を大切にしたいとする思想的背景になっていたようにも思われる。

この政治的生活の中に見つかった「無世界性」は、なんとなく似たような言葉を見つけて話すことができるものの、「そのものに当てはまる概念」を「記憶」の中に見つけることができない。つまり、「無参照」であり(注4)、「無経験」である。しかし、僕たちは、このような超人的な能力を持った人たちだけが気づいた概念や価値観に凄まじい興味を持っている。そのため、こうした超人の言葉と説得が行なわれることを望み、同時に、同じ「経験」をしたいと望んでいる。

そのような「無参照」で「無経験」な概念は、現代では「科学」と呼ばれている。しかし、少なくともギリシア人にとって、それは「哲学」に含まれる学問であったのだ。


注1:[世界の一部(of the world)]を参照。
注2:参照 p76
…この肉体的苦痛は、同時に、すべてのもののうちでもっとも私的で、もっとも伝達しにくいものである。激しい肉体的苦痛というのは、おそらく、公的現われに適した形式に転形できない唯一の経験であろう。
注3:参照 p76
そればかりか、肉体的苦痛は、私たちからリアリティにたいする感覚を実際に奪うので、肉体が苦痛状態にあるときは、真っ先にリアリティが忘れられてしまう。私が自分自身をもはや「認識」できないほどリアリティを見失っている。
アーレントは、以下のようにも述べている。参照 p85
そのうえ、たとえこの欲求が、共苦(シンパシー)という一種の奇蹟にを通して、他人により共有されたとしても、この欲求は空虚なものであるから、それが、共通世界のようななにか固い、耐久力のあるものを樹立することは不可能であろう。
 注4:コンピュータの場合、Not Found(404)は、明確に提示できるのだが、人間は、このような「無参照」を概念としてもつことができないように思う。

2011年10月4日火曜日

家族とポリスの深淵

必然と暴力と自由]からの続き


都市国家(ポリス)の市民は、
家族内における生命の必要〔必然〕を克服すること
を優先させていた。だから市民は、私的生活(私的領域)をしっかりと築き上げないことには、政治的生活(公的領域)における「自由」が得られないことをよく理解していた。

しかし、ポリスでの生活を手に入れても、二つの生活をうまく区別できない市民が多くいたポリスでは、ポリスが「解体」されることになった。

もっとも、
ポリスの創設に先立って部族や種族のような血縁にもとづいて組織された単位が、ことごとく解体したというのは、アリストテレスが勝手に作った理論や見解ではなく、単純に歴史的事実であった。『人間の条件』p45
とあるように、すべてのポリスが「解体」されたのではなく、歴史に残された事実はむしろ、ポリスの市民たちの家族が「解体」されていったという事実である。

ポリスの市民としてあり続けるには、二つの「適応」が必要であった。

一つ目の「適応」は、アリストテレスの提示した「定式化された意見(=ポリスで当時一般的だった意見を定式化)」を市民が受け容れる(注1)ことによる「適応」であった。その結果、「定式化された意見」を反映したポリスの生活様式(政治的生活)は、多くの市民の抱く「(ポリス)全体の理想」を共有することになった。

その具体的なイメージは、次の文章から読み取ることができるだろう。
政治的であるということは、ポリスで生活するということであり、ポリスで生活するということは、すべてが力と暴力によらず、言葉と説得によって決定されるという意味であった。ギリシア人の自己理解では、暴力によって人を強制すること、つまり説得するのではなく命令することは、人を扱う前政治的方法であり、ポリスの外部の生活に固有のものであった。すなわちそれは、家長が絶対的な専制的権力によって支配する家庭や家族の生活に固有のものであり、その専制政治がしばしば家族の組織に似ているアジアの野蛮な帝国の生活に固有のものであった。p47
要するに、ポリスの内部では、人びとは政治的生活を行なったが、ポリスの外部では、すべての人が前政治的方法であったとのだろう。

もう一つの「適応」は、市民がそれまでに信仰してきた家庭と家族の宗教からポリス公認の宗教への「適応」である。この改宗によって、市民のリアリティには大きな変化が起きただろう(注2)。実際、宗教は、家族の血統のように受け継がれていくものである(注3)ことを考えると、この改宗が「ポリスの創設に先立って部族や種族のような血縁にもとづいて組織された単位が、ことごとく解体した」ことの直接的な要因になったのではないだろうか。いずれにせよ、家族の生活様式(私的生活)を支配するポリス公認の宗教になったことで、市民の思想的な背景は「個人の価値観」として通底することになった。

つまり、これら二つの「適応」は、ポリスという一つの社会システムの中で生活する市民にとって、「全体の理想」と「個人の価値観」といった概念的基盤を生みだした。その結果、市民は、この概念的基盤の上に、家族(私的領域)とポリス(公的領域)の明瞭な境界線を見つけることで、二つの生活をうまく区分できるようになった。

アーレントは、この境界線を「深淵」と呼んでいる。
家族の狭い領域を日々飛び超え、政治の領域の中に「攀じ登る」ために、古代人たちが渡らなければならなかった深淵が消滅したというのは、本質的に近代の現象である。私的なものと公的なものとの間にこのような深淵は、中世にもまだ存在していた。しかし、その頃になると既に、それはその意味を多く失い、その場所を完全に変えていた。p55
この「深淵」という表現自体は、「ルビコン川」を渡るような喩えだと思う。つまり、この「深淵」をわたる為に市民は、それほど強い意志のもと、判断する必要があったのだろう。

もっともアーレントは、このような政治的生活と私的生活が区分できたのは、中世までであり、近代以降には、この区分が消滅したと述べている。このあたりについては、今後、考察を加えていきたいと思う。
注1:参照 p48
アリストテレスは、人間を一般的に定義づけようとしたのでもなければ、人間の最高の能力を示そうとしたのでもなかった。彼にとって、人間の最高の能力とは、logos すなわち言論あるいは理性ではなく、 nous すなわち観照の能力であって、その主要な特徴は、その内容が言論によっては伝えられないところにある。この二つの有名な定義によって、アリストテレスはただ、人間と政治的生活様式に関して、ポリスで当時一般的だった意見を定式化したにすぎなかった。そしてこの意見によれば、ポリスの外部にあるすべての人―奴隷と野蛮人―は aneu logou すなわち言葉を欠いていた。いいかえると、彼らは、言論の能力のみならず、言論が、そして言論だけが意味を持ち、全市民の中心的関心が互いに語り合うことにあったような生活様式をも、奪われていた。p48
注2:アーレントが脚注に当てたフュステル・ド・クーランジュの言葉を参照 p112。
「家族と都市の間の亀裂がローマよりもギリシアではるかに深かっただけではない。ただギリシアにおいてのみ、オリンピアの宗教、ホメロスと都市国家の宗教が、家庭と家族のいっそう古い宗教から離れ、それを凌駕していたのである。…つまり、ポリスの公認の宗教においてヘスチアは、十二人のオリンピアの神々の集会でその地位をディオニュソスに譲らなければならなかったのである。」
注3:アーレントは、この改宗についての言及をほとんどしていない。キリスト教の影響を考えれば、その効果をあまりなかったと考えているのかもしれない。

2011年10月2日日曜日

必然と暴力と自由

より正しい言葉]からの続き

僕たちは、僕たちの国家を解体できるか?
より正しい言葉]の文末に、僕があげたテーマである。

もし、僕たちが生きている「国家」を「解体」するとすれば、何から考えるべきだろうか?

僕自身は、なんとか生き延びることができるとしよう。

では、僕の「家族」はどうなってしまうのだろう?

「子供」は?

「両親」は?

「友人」は?

そして、「日本人」はどうなってしまうのだろう?

……

ポリス市民は、ポリスの「解体」を決めたとき、どのように考えたのだろう?

それには、まず、ポリス市民を正しくイメージする必要があるだろう。彼らは、現代人が田舎から都会に引っ越してきたような一人暮らしをしている訳ではない。

彼らは、領地を持ち、「家」を持ち、そして、奴隷を従えていた。
歴史的に見ると、都市国家と公共領域の勃興は、家族の私的領域を犠牲にして起こったように思える。…ポリスが市民の私生活に侵入するのを防ぎ、それぞれの財産を取り囲む境界を神聖なものとして保持していたのは、私たちが理解するような私有財産への敬意のためではない。そうではなく、家を持たなければ、人は、自分自身の場所を世界の中に持つことができず、そうなれば、世界の問題に参加することができないからであった。『人間の条件』p50-51
つまり、「家」という私的領域を持っていることが、この時代の世界に参加するための条件、ポリス市民の条件であった。だから、市民は、自分自身を守るために「家」を守る必要があったと考えることもできるが、「家」を守るために、市民としての世界に参加していたのである。

だから、彼らの私的生活が、
暴力によって人を強制し、絶対的な専制的権力によって支配される
ものであっても、それは、家族すべての生活に秩序を与えるためにあった。

彼らの私的生活の中にあった暴力は、生命を生み、育み、栄養を与えるための労働の「必要〔必然〕」から生じるものであった(注1)

そのうえ、ギリシアの哲学者は、
  • 「自由」は、政治的領域に位置するもの
  • 「必然」は、前政治的現象であり、私的な家族組織に特徴的なもの

と考えていたために、
すべての人間は必然に従属しているからこそ、他者に対して暴力を振るう資格をもつ
とした。だから、ギリシアの哲学者は、
必然に従属した暴力は正しい(注2)
と考えたのだ。

いずれにせよ、
ポリスにおける自由を得ること
よりも、
家族内における生命の必要〔必然〕を克服すること
を優先させた市民たちは、ポリスの「解体」を選択した。

つまり、このように考えるに至った市民たちは、ポリスにおける政治的活動を進めようとしたら、
必然に従属しない暴力
が現われるようになり、
家族内における生命の必要〔必然〕を克服すること
に矛盾すると考え、その瞬間、「より正しい言葉」を見つけたのだろう。

……

そのような思考過程には、冒頭にあげた「解体」という結果を想定するところから考えを模索する姿はない。

つまり、
家族内における生命の必要〔必然〕を克服すること
から始まり、その前提があって「自由」であることを模索する姿があったはずだ。

僕たちは「なんとか生き延びる」ことから考え始めてしまっていたが、ギリシア人は「よく生きる」ということを考えて生きようとしていたのである(注3)

なるほど。この「必然」と「自由」の順番について、僕たちは今一度、その意味について考えてみるべきものがあるだろう。なぜなら、僕たちは、僕たち自身にとっての「必然(=生命の必要)」をあやふやにしているように思うからである。


家族とポリスの深淵]に続く

注1:参照 p51
人びとが家族の中で共に生活するのは、欲求や必要によって駆り立てられるからである。この駆り立てられる力は生命そのものであって―家族の守護神であるペナテスは、プルタルコスによれば、「われわれを生かし、われわれの肉体に栄養を与える神」であった―それは、個体の維持と種の生命の生存のために、他者の同伴を必要とする。個体の維持が男の任務であり、種の生存が女の任務であるというのは明らかであって、この両方の自然的機能、つまり栄養を与える男の労働と生を与える女の労働とは、生命が同じように必要とするものであった。したがって、家族という自然共同体は必要〔必然〕から生まれるものであり、その中で行なわれるすべての行動は、必要〔必然〕によって支配される。
注2:参照 p52
どれほどポリスの生活に反対していようとも、ギリシアの哲学者ならでは誰でも、自由はもっぱら政治的領域に位置し、必然はなによりもまず前政治的現象であって、私的な家族組織に特徴的なものだと考えていた。そして力と暴力がこの領域で正当化されるのは、それらが―たとえば奴隷を支配することによって―必然を克服し、自由となるための唯一の手段であるからだということを当然なことと見ていた。すべての人間は必然に従属しているからこそ、他者に対して暴力を振るう資格をもつ。
注3:アーレントは、アリストテレスが考えた幸福(エウダイモン)の概念について考察を行なっている。[ダイモンの幸福]を参照。 

2011年9月30日金曜日

より正しい言葉

正しい言葉]からの続き

ギリシアの思想によれば、政治的組織を作る人間の能力は、家庭(oikia)と家族を中心とする自然的な結合と異なっているばかりか、それと正面から対立している。都市国家の勃興は、人間が「その私的生活のほかに一種の第二の生活である政治的生活」を受け取ったということを意味していた。「今やすべての市民は二種類の存在秩序に属している。そしてその生活において、自分自身のもの(idion)と共同体のもの(koinon)との間には明白な区別がある」。p45
アーレントは、ギリシア市民の生活は、
  • 自分自身のもの(idion)― 家庭(oikia)と家族が中心 ― 私的生活
  • 共同体のもの(koinon)― 政治的組織が中心 ― 政治的生活
による二つに区分できたという。しかし、彼らが、それぞれの区分において、まったく異なる「言葉」を使い分けていたのではないだろう。彼らは、いつも同じ言葉を使うことによって、以下のような結末を迎えたのだろう。
ポリスの創設に先立って部族や種族のような血縁にもとづいて組織された単位が、ことごとく解体したというのは、アリストテレスが勝手に作った理論や見解ではなく、単純に歴史的事実であった(注1)。p45
ポリスの解体は、ポリス市民のひとりひとりの価値観や考え方にもとづいた政治的判断によるものと考えるべきだろう。しかし、ポリスが、部族や種族のような血縁にもとづいて組織された単位であったことを考えれば、なぜこのような結末を迎えることになったのか、その問題の本質を考えることはとても重要だろう。

たしかに、ポリスの内部での生活は、
すべてが力と暴力によらず、言葉と説得によって決定される(注2)
ことを目指していた。

しかし、上記した2つの区分の生活は、「人間の同一性における本質的な矛盾」を抱えていた。なぜなら、
ギリシア人の自己理解では、暴力によって人を強制すること、つまり説得するのではなく命令することは、人を扱う前政治的方法であり、ポリスの外部の生活固有のものであった。すなわちそれは、家長が絶対的な専制的権力によって支配する家庭や家族の生活に固有のものであり、その専制政治がしばしば家族の組織に似ているアジアの野蛮な帝国の生活に固有のものであった。p47
とあるように、ポリスの外部での生活は、
暴力によって人を強制し、絶対的な専制的権力によって支配される
ものであったからだ。

アーレントは、
人間を政治的動物と規定するアリストテレスの定義は、家族生活で経験される自然的結合と無関係なばかりか、対立さえしていた。p47-48
と指摘する。
彼にとって、人間の最高の能力とは、logos すなわち言論あるいは理性ではなく、nous すなわち観照の能力であって、その主要な特徴は、その内容が言論によっては伝えられないところにある。この二つの非常に有名な定義によって、アリストテレスはただ、人間と政治的生活様式にかんして、ポリスで当時一般的だった意見を定式化したにすぎなかった。p48
アリストテレスが行なった「意見の定式化(ポリスで当時一般的だった意見を定式化)」は、結局、ポリス市民のリアリティを反映するものではなかったようだ。

そもそも「意見の定式化」とは、どのようなものであったか。それは、現代でいうところの「世論調査」のようなものであったのか、それとも、ジャン・ジャック・ルソーが述べたような「一般意識」のようなものであったのか、その考察をここでは行なうことはしない。ただ、ポリスを創設する前と後では、ポリス市民の「意識」に変化がおこったはずなのだが、アリストテレスが、その市民の「意識」に注意を向けていたかどうかは疑わしいと思う。

アーレントは、当時の背景を説明してる。
ギリシアやポリスばかりでなく、古代西洋全体を通じて、僭主の権力でさえ、奴隷や家族を支配する家父(パテルファミリアス)や家長(ドミヌス)の権力よりも大きくなく、「完全」でもないということは、実際、自明のことだったのである。そしてそれは、都市の支配者の権力が家長の結合した権力によって挑戦を受け、抑止されたからではなく、絶対的に並ぶもののない支配と政治的領域とは、適切にいえば、互いに相容れないものだったからである。p49
要するに、ポリスの支配者でさえ、市民の私的生活に干渉できなかった。そして、ポリス市民の私的生活は、家長として絶対的な支配者であった。

そのため、ポリス市民は、私的生活においては絶対的な専制的権力によって支配する〈暴力的な存在〉であり、政治的生活においては言葉と説得によって決定しようとする〈非暴力的な存在〉であろうとする、異なったイデオロギー、異なった同一性という矛盾を抱えていたのである。
近代の平等は、このような画一主義にもとづいており、すべての点では、古代、とりわけギリシアの都市国家の平等と異なっている。かつて、少数の「平等なる者」(homoioi)に属するということは、自分と同じ同格者との間に生活することが許されるという意味であった。しかし、公的領域そのものにほかならないポリスは、激しい競技精神で満たされていて、どんな人でも、自分が常に他人と区別しなければならず、ユニークな偉業や成績によって、自分が万人の中の最良であること(aien aristeuein)を示さなければならなかった。いいかえると公的領域は個性のために保持されていた。それは人びとが、他人と取り替えることのできない真実の自分を示しうる唯一の場所であった。p65
たしかに、ポリスの政治的生活は、個人の唯一性(他人と取り替えることのできない真実の自分)を示すことができるものであり、それを重んじる「平等」の精神で満ちあふれていたのだろう。

なるほど。「平等」の精神は、「自由主義」という価値観に通底しているが、「権威主義」には反している(注3)。だから、市民は、政治的生活よりも私的生活に帰属することを選択し、都市国家は「解体」されることになったのだ。

もっとも、僕は、この「解体」という選択に驚きを隠せない。

たしかに、ポリスでは、
すべてが力と暴力によらず、言葉と説得によって決定される
から、この「解体」でさえ、
市民の言葉と説得
による「決定」であることは疑いないだろう。

だからこそ、アーレントが指摘するように、
絶対的に並ぶもののない支配と政治的領域とは、適切にいえば、互いに相容れないものだった
ことには、もっと深層的な問題があるように思えてならない。

たしかに、家長たちは政治的生活を目指したからこそ都市国家の創設に寄与し、その政治的手法によって都市国家を「解体」することにした。しかし、それほど彼らが互いに「言葉と説得」を重んじたのであれば、なぜ「継続」するという選択をしなかったのだろうか。

都市国家の解体。

たとえるならば、それは、僕たちが「いま・ここ」に帰属している国家というものを「解体」することにほかならない。

つまり、
僕たちは、僕たちの国家を解体できるか?
あるいは、
僕たちは、日本を解体できるのか?
というテーマに向き合うことになる。

そもそも、仮にそれを行なうこととしたら、どのような議論が適切なのだろうか?

僕たちは、このテーマに対して「より正しい言葉」を持っているのだろうか?

「より正しい言葉」とは、
僕たち共通のリアリティを表わすような言葉
となる必要がある。だから、僕ひとりの「正しい言葉」を見つけることよりも、もっともっと高いハードルをクリアしなければならない。

でも、アーレントは、こういう言葉を見つけることを欲しているように思う。


必然と暴力と自由]に続く

注1:参照  p112
フュステル・ド・クーランジュの主要テーマは、「同一の宗教」が古代の家族組織と都市国家を形成したことを立証することにあるけれども、彼は、家族の宗教を基盤とする部族制度と都市制度とが、「実際には二つの対立的な統治形態であった」という事実を示す多くの証拠を挙げている。「…都市は永続しないか、それともやがて家族を解体させてしまうのかであった」
注2:参照 p47
ポリスで生活するということは、すべてが力と暴力によらず、言葉と説得によって決定されるという意味であった。
注3:[活動の能力]を参照のこと。
「自由」とは、多種多様な人びとに「平等」に、「活動」と「言論」を認めるものであるし、そうした人と人の間にある「活動」と「言論」の「差異」を認めるものである

2011年8月12日金曜日

汝らの行くところ汝らがポリスなり

アーレントのポリス(都市国家)にまつわる説明は、僕には、今日の企業活動におけるブランディング戦略ついて言及しているように思われる。

そこで、『人間の条件』の中から気になった箇所を抜き出してみる。
…ポリスという形で共生している人びとの生活は、活動と言論という人間の活動力の中で最も空虚な活動力を不滅にし、活動と言論の結果である行為と物語という人工の「生産物[A]」の中で最もはかなく触知できない生産物を不滅にするように思われたのである。p318-319
このようなギリシャ人の自己解釈によれば、政治領域は、共同の活動、つまり「ことばと行為の共有[B]」から生まれてくる。p319
正確にいえば、ポリスというのは、ある一定の物理的場所を占める都市=国家ではない。むしろ、それは、共に活動し、共に語ることから生まれる人びとの組織である。そして、このポリスの真の空間は、共に行動し、共に語るというこの目的の為に共生する人びとの間に生まれるものであって、それらの人びとが、たまたまどこいるかということとは無関係である。「汝らの行くところ汝らがポリスなり[C]」という有名なことばは単にギリシャの植民の合い言葉になっただけではない。p320
それぞれの引用の中に、着目する3つのことば[A][B][C]とつけた。
企業ブランディングに関わって来られている方は、この3つのことばがそれぞれ、

  • [A]Artifact(生産物)
  • [B]Behavior(行為)
  • [C]Concept(概念)

に当たると直感されているかもしれない。

ブランディング戦略では、不特定多数の人びとに対して同じことばや行為を繰り返し使うことは極めて重要な戦術とされている。しかし、それは、最終的な生産物を消費者に届けることを目標とするからであり、そこで作られた生産物が、それまでのことばや行為の延長にある意味付けがなされるものであることは言うまでもない。同様に、ことばにせよ、行為にせよ、表現者はその裏付けとなるコンセプトを共有することから、全体のブランディング構築が始まる。

このように考えてみると、「汝らの行くところ汝らがポリスなり」は、素晴らしいブランディング・メッセージになっている!