2011年9月30日金曜日

より正しい言葉

正しい言葉]からの続き

ギリシアの思想によれば、政治的組織を作る人間の能力は、家庭(oikia)と家族を中心とする自然的な結合と異なっているばかりか、それと正面から対立している。都市国家の勃興は、人間が「その私的生活のほかに一種の第二の生活である政治的生活」を受け取ったということを意味していた。「今やすべての市民は二種類の存在秩序に属している。そしてその生活において、自分自身のもの(idion)と共同体のもの(koinon)との間には明白な区別がある」。p45
アーレントは、ギリシア市民の生活は、
  • 自分自身のもの(idion)― 家庭(oikia)と家族が中心 ― 私的生活
  • 共同体のもの(koinon)― 政治的組織が中心 ― 政治的生活
による二つに区分できたという。しかし、彼らが、それぞれの区分において、まったく異なる「言葉」を使い分けていたのではないだろう。彼らは、いつも同じ言葉を使うことによって、以下のような結末を迎えたのだろう。
ポリスの創設に先立って部族や種族のような血縁にもとづいて組織された単位が、ことごとく解体したというのは、アリストテレスが勝手に作った理論や見解ではなく、単純に歴史的事実であった(注1)。p45
ポリスの解体は、ポリス市民のひとりひとりの価値観や考え方にもとづいた政治的判断によるものと考えるべきだろう。しかし、ポリスが、部族や種族のような血縁にもとづいて組織された単位であったことを考えれば、なぜこのような結末を迎えることになったのか、その問題の本質を考えることはとても重要だろう。

たしかに、ポリスの内部での生活は、
すべてが力と暴力によらず、言葉と説得によって決定される(注2)
ことを目指していた。

しかし、上記した2つの区分の生活は、「人間の同一性における本質的な矛盾」を抱えていた。なぜなら、
ギリシア人の自己理解では、暴力によって人を強制すること、つまり説得するのではなく命令することは、人を扱う前政治的方法であり、ポリスの外部の生活固有のものであった。すなわちそれは、家長が絶対的な専制的権力によって支配する家庭や家族の生活に固有のものであり、その専制政治がしばしば家族の組織に似ているアジアの野蛮な帝国の生活に固有のものであった。p47
とあるように、ポリスの外部での生活は、
暴力によって人を強制し、絶対的な専制的権力によって支配される
ものであったからだ。

アーレントは、
人間を政治的動物と規定するアリストテレスの定義は、家族生活で経験される自然的結合と無関係なばかりか、対立さえしていた。p47-48
と指摘する。
彼にとって、人間の最高の能力とは、logos すなわち言論あるいは理性ではなく、nous すなわち観照の能力であって、その主要な特徴は、その内容が言論によっては伝えられないところにある。この二つの非常に有名な定義によって、アリストテレスはただ、人間と政治的生活様式にかんして、ポリスで当時一般的だった意見を定式化したにすぎなかった。p48
アリストテレスが行なった「意見の定式化(ポリスで当時一般的だった意見を定式化)」は、結局、ポリス市民のリアリティを反映するものではなかったようだ。

そもそも「意見の定式化」とは、どのようなものであったか。それは、現代でいうところの「世論調査」のようなものであったのか、それとも、ジャン・ジャック・ルソーが述べたような「一般意識」のようなものであったのか、その考察をここでは行なうことはしない。ただ、ポリスを創設する前と後では、ポリス市民の「意識」に変化がおこったはずなのだが、アリストテレスが、その市民の「意識」に注意を向けていたかどうかは疑わしいと思う。

アーレントは、当時の背景を説明してる。
ギリシアやポリスばかりでなく、古代西洋全体を通じて、僭主の権力でさえ、奴隷や家族を支配する家父(パテルファミリアス)や家長(ドミヌス)の権力よりも大きくなく、「完全」でもないということは、実際、自明のことだったのである。そしてそれは、都市の支配者の権力が家長の結合した権力によって挑戦を受け、抑止されたからではなく、絶対的に並ぶもののない支配と政治的領域とは、適切にいえば、互いに相容れないものだったからである。p49
要するに、ポリスの支配者でさえ、市民の私的生活に干渉できなかった。そして、ポリス市民の私的生活は、家長として絶対的な支配者であった。

そのため、ポリス市民は、私的生活においては絶対的な専制的権力によって支配する〈暴力的な存在〉であり、政治的生活においては言葉と説得によって決定しようとする〈非暴力的な存在〉であろうとする、異なったイデオロギー、異なった同一性という矛盾を抱えていたのである。
近代の平等は、このような画一主義にもとづいており、すべての点では、古代、とりわけギリシアの都市国家の平等と異なっている。かつて、少数の「平等なる者」(homoioi)に属するということは、自分と同じ同格者との間に生活することが許されるという意味であった。しかし、公的領域そのものにほかならないポリスは、激しい競技精神で満たされていて、どんな人でも、自分が常に他人と区別しなければならず、ユニークな偉業や成績によって、自分が万人の中の最良であること(aien aristeuein)を示さなければならなかった。いいかえると公的領域は個性のために保持されていた。それは人びとが、他人と取り替えることのできない真実の自分を示しうる唯一の場所であった。p65
たしかに、ポリスの政治的生活は、個人の唯一性(他人と取り替えることのできない真実の自分)を示すことができるものであり、それを重んじる「平等」の精神で満ちあふれていたのだろう。

なるほど。「平等」の精神は、「自由主義」という価値観に通底しているが、「権威主義」には反している(注3)。だから、市民は、政治的生活よりも私的生活に帰属することを選択し、都市国家は「解体」されることになったのだ。

もっとも、僕は、この「解体」という選択に驚きを隠せない。

たしかに、ポリスでは、
すべてが力と暴力によらず、言葉と説得によって決定される
から、この「解体」でさえ、
市民の言葉と説得
による「決定」であることは疑いないだろう。

だからこそ、アーレントが指摘するように、
絶対的に並ぶもののない支配と政治的領域とは、適切にいえば、互いに相容れないものだった
ことには、もっと深層的な問題があるように思えてならない。

たしかに、家長たちは政治的生活を目指したからこそ都市国家の創設に寄与し、その政治的手法によって都市国家を「解体」することにした。しかし、それほど彼らが互いに「言葉と説得」を重んじたのであれば、なぜ「継続」するという選択をしなかったのだろうか。

都市国家の解体。

たとえるならば、それは、僕たちが「いま・ここ」に帰属している国家というものを「解体」することにほかならない。

つまり、
僕たちは、僕たちの国家を解体できるか?
あるいは、
僕たちは、日本を解体できるのか?
というテーマに向き合うことになる。

そもそも、仮にそれを行なうこととしたら、どのような議論が適切なのだろうか?

僕たちは、このテーマに対して「より正しい言葉」を持っているのだろうか?

「より正しい言葉」とは、
僕たち共通のリアリティを表わすような言葉
となる必要がある。だから、僕ひとりの「正しい言葉」を見つけることよりも、もっともっと高いハードルをクリアしなければならない。

でも、アーレントは、こういう言葉を見つけることを欲しているように思う。


必然と暴力と自由]に続く

注1:参照  p112
フュステル・ド・クーランジュの主要テーマは、「同一の宗教」が古代の家族組織と都市国家を形成したことを立証することにあるけれども、彼は、家族の宗教を基盤とする部族制度と都市制度とが、「実際には二つの対立的な統治形態であった」という事実を示す多くの証拠を挙げている。「…都市は永続しないか、それともやがて家族を解体させてしまうのかであった」
注2:参照 p47
ポリスで生活するということは、すべてが力と暴力によらず、言葉と説得によって決定されるという意味であった。
注3:[活動の能力]を参照のこと。
「自由」とは、多種多様な人びとに「平等」に、「活動」と「言論」を認めるものであるし、そうした人と人の間にある「活動」と「言論」の「差異」を認めるものである

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