僕の工業デザイナーとして働いてきた経験を前提に考えると、以下にある「プラトン的分離」は、デザイナーの制作過程のそれにとてもよく似ていると思う。
アーレントがドイツで過ごしていた時代は、バウハウスが工業デザインの新しい流れを切り開いた時代でもあった。バウハウスから生み出された工業製品は、荒廃したドイツ復興を牽引する象徴的なものであったし、同時に国内の産業基盤の再生を目指したものであったことから、常に効率的な量産が意識されていた。そのため、アーレントもまた、そうした工業製品が作られる裏側に「プラトン的分離」が行われているのを強く感じていたのではないだろうか。
現代人の多くが誤解していることだが、近代の終わりくらいまで、工芸品の制作や建築には、プロトタイプのような考え方はあまり一般的でなかった。もっぱら手仕事による制作が基本だったので、職人がその都度、自分たちの基準で寸法を決めて物作りを行っていた。しかし、ローマ帝国の時代には、ローマへ続く道路建設のために道路幅や道路の材質などの原型が用意され、馬車等にも同じ寸法の車輪が使われていたことが知られている。プラトンの生きた時代は、ローマ帝国よりも更に遡るので、そうした製作技術がプラトンによって生み出され、ローマ帝国の崩壊とともに消えていき、ドイツのバウハウスにおいて再び、そうした製作技術が復興を遂げているのはきわめて興味深い。
とはいえ、ドイツにおける量産技術の確立は、戦争の暴力装置の量産に使われていくことになる。アーレントからすれば、神妙な気持ちにならざるを得ないところではないだろうか。
「美の愛好者」のほうが、現代の商業主義的な工業デザインに近いといえる。フォルムやスタイリングという言葉を耳にされる方もあると思うが、その本質が何かと言えば、車であれば、早い感じ、ズッシリと重厚な感じ、という感性的イメージに基づいた造形を指している。辛辣な言い方をすれば、「早そうに見えても早くない」「重そうに見えても重くない」のであるが、ユーザーの美的感覚に訴える場合のデザインである。
一方、「善の愛好者」のほうが、より機能性を重視したデザインだと考えられる。「大きなハンドルが取り回しやすければ、大きなハンドルが車にはつけられ」、「高速走行時に安定するから車輪を大きくする」などのデザインが施される。まさに、実質本意であるし、「役に立つ(グッド・フォー)」を最優先したものと考えられる。
ちなみに、バウハウスのデザインが現代において高く評価されるのは、量産品特有の機能主義だけでなく、美の追求を忘れなかった点にある。
哲人王、プラトン…。
アーレントはプラトンに何を見ているのだろうか。
このような知と行為のプラトン的分離は、あらゆる支配の理論の根本にあるものであって、これらの理論は、旺盛で無責任な権力意志を単に正当化しているだけのものではない。プラトンは、純粋な概念の力と哲学的な明晰さを持って、知を命令=支配と同一視し、活動を服従=執行と同一視した。『人間の条件』p354-355つまり、緻密な設計作業が「知」の部分に当たり、設計を元に製造する部分が「活動」に当たる。工業デザイナー(設計)と工場(製造)による分業体制、さまざまな効率化を図る上で、とても重要な意味を持つ。
アーレントがドイツで過ごしていた時代は、バウハウスが工業デザインの新しい流れを切り開いた時代でもあった。バウハウスから生み出された工業製品は、荒廃したドイツ復興を牽引する象徴的なものであったし、同時に国内の産業基盤の再生を目指したものであったことから、常に効率的な量産が意識されていた。そのため、アーレントもまた、そうした工業製品が作られる裏側に「プラトン的分離」が行われているのを強く感じていたのではないだろうか。
…確かに、プラトンは深さと美をユニークな仕方で融合し、その重みによって彼の思想は何世紀も続くことになった。 しかし、それを別とすれば、彼の著作のうちで特にこの支配の概念の部分が長く生命を保っているのには別の理由がある。それは、彼が活動を支配に置き換えたとき、それをもっと真実らしく説明するために製作の分野に事例を求めたということである。これによって、この置き換えはいっそう強化された。実際、プラトンは、その哲学上の中心的概念である「イデア」という用語を、製作の領域における経験から得ており、それに気づいた最初の人であったと思われる。p355工業デザインの世界では、量産化体制に入る前には、かならず原型(プロトタイプ)制作が行われる。 アーレントは、プラトンが「それをもっと真実らしく説明するために製作の分野に事例を求めた」としているが、この考察で間違いないだろう。原型制作を行うといろいろなことが明らかになる。一つの制作物を作るために必要な時間、コスト、材料、工作人の数や技量といったもの。
現代人の多くが誤解していることだが、近代の終わりくらいまで、工芸品の制作や建築には、プロトタイプのような考え方はあまり一般的でなかった。もっぱら手仕事による制作が基本だったので、職人がその都度、自分たちの基準で寸法を決めて物作りを行っていた。しかし、ローマ帝国の時代には、ローマへ続く道路建設のために道路幅や道路の材質などの原型が用意され、馬車等にも同じ寸法の車輪が使われていたことが知られている。プラトンの生きた時代は、ローマ帝国よりも更に遡るので、そうした製作技術がプラトンによって生み出され、ローマ帝国の崩壊とともに消えていき、ドイツのバウハウスにおいて再び、そうした製作技術が復興を遂げているのはきわめて興味深い。
とはいえ、ドイツにおける量産技術の確立は、戦争の暴力装置の量産に使われていくことになる。アーレントからすれば、神妙な気持ちにならざるを得ないところではないだろうか。
それはともかく、知と行為の区別は、活動の領域とはまったく無縁のものである。というのは、この領域では、思考と活動が分離する途端にその有効性と有意味性が失われてしまうからである。これに反して、製作においては、知と行為の分離は、日々の経験にすぎない。なぜなら、製作の過程が、二つの部分に分かれていることは明白だからである。すなわち、製作過程では、まず第一に、あるべき生産物のイメージあるいは形(エイドス)を知覚し、次いで、手段を組織化し、仕事に取りかかるのである。p355上記の考察は、この内容から裏付けられるだろう。
プラトンは、仕事と製作に固有の固さを人間事象の領域に与えるために、活動と製作を置き換えようとしたのであるが、このような彼の願望は、彼の哲学の中核であるイデア説に触れると最も明白になる。…ただ『国家』においてのみ、イデアは、標準、尺度、行動基準に変形されている。これらの基準はすべて、ギリシャ的意味における「善(グッド)」、すなわち「役に立つ(グッド・フォー)」あるいは適合性の観念の変種であり、その派生物である。…しかし、この善のイデアは、哲学者の最高のイデアではない。…『国家』においてさえ、哲学者は、依然として善の愛好者ではなく、美の愛好者として定義されているのである。むしろ善は、哲人王の最高のイデアなのである。p356僕の考察が間違いなければ、プラトンは、「工業デザインの祖」と呼んでも良いのではないかと思えるほど卓越している。ただし、アーレントの記述からは、現代の商業主義的な工業デザイン(ただし、ほんの最近までの…)を念頭に考えると、ちょっとばかり目指していたものが違うのではないかと思える。それが、「善の愛好者」と「美の愛好者」とする比較である。この対比をもう少し具体的に砕いておく。
「美の愛好者」のほうが、現代の商業主義的な工業デザインに近いといえる。フォルムやスタイリングという言葉を耳にされる方もあると思うが、その本質が何かと言えば、車であれば、早い感じ、ズッシリと重厚な感じ、という感性的イメージに基づいた造形を指している。辛辣な言い方をすれば、「早そうに見えても早くない」「重そうに見えても重くない」のであるが、ユーザーの美的感覚に訴える場合のデザインである。
一方、「善の愛好者」のほうが、より機能性を重視したデザインだと考えられる。「大きなハンドルが取り回しやすければ、大きなハンドルが車にはつけられ」、「高速走行時に安定するから車輪を大きくする」などのデザインが施される。まさに、実質本意であるし、「役に立つ(グッド・フォー)」を最優先したものと考えられる。
ちなみに、バウハウスのデザインが現代において高く評価されるのは、量産品特有の機能主義だけでなく、美の追求を忘れなかった点にある。
なぜなら哲人王は、人びとの間で生活を送らねばならず、永遠にイデアの大空の元に住むことができないゆえに人間事象の支配者たろうとするからである。哲人王は、多くのさまざまな人間の行為と言葉を測り包括する基準あるいは尺度として導きのイデアを必要とする。しかし、それは、彼がもう一度自分の仲間と住むために人間事象の暗い洞窟に戻ってくるときだけである。この場合、哲人王は絶対的で「客観的な」確かさを必要とするが、その確かさは、例えば職人が、永遠に変わらないモデルであるベッド一般の「イデア」を用いてベッドを作ったり、同じ方法で素人がここのベッドを判断したりするときと同じ確かさである。p356-357ここで、アーレントは、哲人王が 「多くのさまざまな人間の行為と言葉を測り包括する基準あるいは尺度として導きのイデア」を必要としたとしているが、この記述からは、プラトンは「フィールド・マーケティング」を行いながら、市場ニーズの中心をなす基準づくりを試みようとしていたと思われる。
この場合、強制的要素は、芸術家や職人の人格にあるのではなく、むしろ彼らの芸術や工芸の非人格的な対象物にあるのである。『国家』において哲人王は、職人が自分の尺度や物差しを使うようにイデアを用いている。彼は、彫刻家が像を作るように、自分の都市を「作る」のである。プラトンの最後の作品では、これと同じイデアが、ただ執行を待つだけの法律にさえなっている。p357プラトンは、さまざまな考察を加えた原型制作を通じて、量産化体制に向けた綿密な計画を作っていたと考えられる。それは、アーレントが指摘する分離された「知」の部分であることは疑いようがないだろう。そして、その綿密な計画を現代の政治システムに喩えるならば、行動計画書を付けた状態で議会承認を待つ「法案」のようにみえる。
哲人王、プラトン…。
アーレントはプラトンに何を見ているのだろうか。